訪問日:2019年8月17日
20年ぐらい前のことだと思いますが、仕事で太融寺近くのホテル(法華クラブ大阪)に宿泊した際、ホテルにあった周辺案内を何気なく見てみると、淀殿の墓とあり、「このような場所に淀殿のお墓があるのか」と驚き、訪れた記憶が今でも残っています。お盆のUターン時に少し時間がありましたので、太融寺を訪れることにしました。
太融寺はJR大阪駅から徒歩で10分ほどの場所にあります。大阪の地下街に慣れている方ならば、地下街を歩いていくのが暑くないので良いと思いますが、私は慣れておらず、迷子になる可能性が高いので、地上を歩いていきました。
淀殿のお墓
太融寺に到着すると、西門から境内に入り、真っ直ぐ淀殿のお墓に行き、手を合わせました。境内には案内があり、以下のようなことが書かれていました。
淀の方(1567-1615)
豊臣秀吉の側室、浅井長政の長女。花は織田信長の妹であるお市の方。浅井氏の滅亡後、秀吉に養われ、天正17年に淀城に入る。淀殿、淀の方と呼ばれた。秀頼を生み、秀吉没後は大坂城に拠り、豊臣方の中心的人物となる。大阪夏の陣に敗戦、秀頼と共に自刃した。法名を大虞院英岩と寺伝にいう。明治10年城東鴨野より当寺に改葬された。
豊臣政権が続いていたならば、淀殿は死後、神として祀られ、お墓も最も立派なものになっていたと思いますが、これも戦国の世の習いなのでしょう。
本堂
せっかく太融寺に来たのですから、本堂にも足を伸ばしましょう。太融寺の本堂は自由に上がれるようになっているので、上がって、御本尊の千手観音様に手を合わせましょう。閉じられた厨子の前には御前立ちの千手観音像、その両脇に地蔵菩薩像、毘沙門天像が祀られていました。千手観音の両脇に地蔵菩薩、毘沙門天を祀るスタイルは京都の清水寺と同じですので、きっと太融寺周辺には綺麗な水が湧き出ていたと思います。
一願不動
太融寺の境内にはたくさんの神仏が祀られていますが、一番有名なのは、一願不動と呼ばれる不動明王だと思います。こちらの不動明王が凄いなと思うことは、いつ訪れても、いつも熱心にお参りしている人がいることです。当日も熱心にお参りされているご婦人の方がいらっしゃいました。それだけ、霊験あらたかな仏様なのだと思います。
最後に
太融寺は大阪駅からほど近いですので、少し時間があれば、立ち寄ることが出来ます。私は大阪出張の際は、ほぼ毎回訪れるようにしています。戦国時代好きとして淀殿のお墓に手を合わせ、一願不動など太融寺の神仏にお参りしてご利益をいただき、気持ちよく仕事等に臨むのはいかがでしょうか。
この記事へのコメントはありません。