訪問日:2022年3月14日
数年前、京都の豊国神社に豊臣秀吉像が新たに安置されたというニュースを見ました。今回、記事を書くために改めて調べ直すと、2019年に安置されたとのことです。その豊臣秀吉像をまだ見ていなかったので、今回訪れようと思いました。
豊臣秀吉像
京都駅方面からのんびり歩いていくと豊国神社に到着(後でGoogleマップを見ると、七条通→大和大路通と歩くよりも、正面橋を渡って、正面通から行くほうが良いように感じます)。
豊国神社の入り口の風景、格好良いです。鳥居から見える唐門はとても絵になります。戦国武将を祀る神社は格好良くあってほしいと思います。
参道を進むと手水舎があり、豊国神社にふさわしく、五七の桐が彫られていました。
そこから少し進むと、お目当ての豊臣秀吉像がありました。
第一印象として、「秀吉らしい像だな」と思いました。私の思い描く秀吉の姿は正に像のような姿ですので、そのように感じました。
正面以外、斜めから見ても良い感じでした。
そして、唐門の前に行き、秀吉公にお参り。唐門は伏見城の遺構で、西本願寺、大徳寺の唐門と併せて、国宝の三唐門と呼ばれているのも納得の素晴らしいものです。正面に掲げられている後陽成天皇の御宸筆による「豊国大明神」の御神号額も良いです。
脇に白虎像が安置されており、「寅年だからかな」と思い、案内を読むと
縁起が良いとされる「白虎」。コロナの退散を願い、ウィルスを打ち負かす力強さと干支の愛らしさを併せ持った白い虎に開運の願いを込めて奉納いたしました。
とありました。
また豊国神社の紹介が書かれた立板もあり、読むと
両脇の石灯籠は、秀吉恩顧の大名が寄進したものである。
とありましたが、石灯籠は左右に3つずつぐらいしかなく、上野東照宮の灯籠の数に比べて、圧倒的に少ないのは、寂しい気がしました。
宝物館
お参りの後は、宝物館を見学しました。
1604年の8月に開催された秀吉の七回忌の豊国祭礼図屏風があり、賑やかだった様子が伝わってきました。1604年は関ヶ原の戦い(1600年)の後であり、関ヶ原の戦いで徳川の天下になったという説もありますが、そうではなく、豊臣家をトップという認識が人々にあったのだと思いました。
しかし、13回忌は盛り上がらなかったそうで、その時には徳川家康が天下人という認識が人々に広まっていたのだと思います。
豊太閤御歯があり、凄いなと思いました。伝加藤清正筆と言われる豊国大明神の御神号も印象に残りました。また秀吉の馬印と言えば、千成瓢箪ですが、実際は1個の瓢箪だったそうです。
「新日吉大権現 豊臣二代秀頼 八才」と書かれた軸があり、秀頼のものと思われる手形も押してあったので、印象に残りました。
宝物館の展示を見終わって、秀吉が亡くなった日が8月18日だと覚えました。織田信長が亡くなった日は本能寺の変が起こった6月2日で知っており、徳川家康が亡くなった日は上野東照宮で4月17日と覚えており、三英傑の内、秀吉だけ覚えていませんでしたが、今回の宝物館拝観で覚えました。
最後に
秀吉像のことを偶然思い出しての訪問でしたが、秀吉の亡くなった日を8月18日と覚えることができたのが良かったです。
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