お城EXPO2022に行きました

お城EXPO2022

訪問日:2022年12月17日
お城好きにとっての12月における恒例行事と言えば、お城EXPOを訪れることです。ということで、今年も厳選プログラム等を聴講してきました。

家康の城と戦略

お城EXPO2022は12月17日と18日の2日間開催されましたが、17日に訪れたのは、三浦正幸先生の講演「家康の城と戦略」を聞くためです。先生の講演は昨年も聴講し、とても有意義であり、また執筆された「近世城郭の作事」も非常に為になる本であったので、今年も講演を聴講したいと思ったからです。
以下、聴講して印象に残ったキーワード(サラリーマン大名、戦略核兵器の城)をもとに感想を書きます。

三浦先生の講演は撮影可でした

三浦先生の講演は撮影可でした

豊臣政権時はサラリーマン大名

豊臣政権下ではサラリーマン大名(城は与えられていたが、自身のものではなく、秀吉の命で転封させられる)だったので、見えるところだけ立派な石垣を築いた。東海地方で徳川から豊臣、豊臣から徳川のものになった城は皆そうである。例えば、岡崎城は南から見た時は石垣を持つ近世城郭(豊臣の城)、北から見た時は土の城(徳川の城)である。

岡崎城を訪れた時、天守の北側に行った際、清海堀と呼ばれる立派な堀があり、南側とは随分印象が違うなと感じたことを思い出しました。

関ヶ原合戦後、東軍についた大名は家康から新しい土地をもらった。秀吉ではなく、家康だったので、西国に移動になった大名は土地を自身のものである(サラリーマン大名ではない)と考え、立派な城を築いた(三浦先生の考えであり、反対意見もある)。

関ヶ原合戦から大坂の陣までの間に数多くの城が築かれた、いわゆる慶長の築城ラッシュに関して、一般にその理由は近い将来に豊臣家と徳川家の戦があると考えた為とされています。しかし、関ヶ原合戦後は家康の天下になるとほとんどの大名を思っていたと考えると、三浦先生の話された考えはそうなのかなと思います。

戦略核兵器の城:名古屋城

戦略核兵器とは、使うものではない、持っていると相手が攻めてこない、戦争の抑止となるものである。名古屋城は徳川家康流の城の守り方と藤堂高虎流の城の守り方をコラボした絶対に攻め落とすことのできない、戦の抑止になる城である。
戦略核兵器は相手にその威力を知ってもらう必要がある(知らないと相手が攻めてきて、戦争の抑止にならない)。名古屋城は天下普請で西国の外様大名が築いたので、西国の外様大名は絶対に攻め落とすことができないことを知ることができた。

天下普請の目的は一般に外様大名に経済的負担をかけさせる為と言われています。しかし、参勤交代も以前は経済的負担をかけさせる為と言われてきましたが、近年は江戸幕府への忠誠を示す為となっていますので、天下普請の目的も三浦先生の説となる日が来るかもしれません(個人的には来るような気がします)。

その他としては、岡崎城と諏訪原城(牧野城)に共通して見られる徳川の城の特徴の紹介もありましたので、来年は岡崎城と諏訪原城を訪れたいと思いました。

最後に

三浦先生の話は今年もとても為になる内容で次回も聴講したいと思います。三浦先生以外には中井均先生の話も聴講し、講演終了後に中井先生のサイン会があり、そこで少しですが、話ができたのは良い思い出です。

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