訪問日:2019年10月19日
京都市下京区にある蓮光寺には、大阪夏の陣で敗れた長宗我部盛親のお墓があります。お墓にはお寺が開いている時間ならばいつでもお参りできますが、蓮光寺は観光寺院ではないため、入りづらさもあります。
京都の浄土宗のお寺はここ数年、寺院特別大公開を開催しており、普段非公開のお寺も一般向けに公開されます。令和元年の寺院特別大公開は10月1日から10月27日まで実施され、蓮光寺の公開日は10月19日で、丁度、京都に行きますので、訪れることにしました。
長宗我部盛親の話
JR京都駅から徒歩で蓮光寺へ。お寺に到着し、本堂内に上がると、御住職がお話をされていました。話の中から、長宗我部盛親に関することを以下に要約します。
長宗我部盛親の父である元親と蓮光寺のときの住職が昵懇だった。長宗我部盛親は関ヶ原の戦いでは西軍につくが、出陣することなく負けてしまう、戦後、寺子屋の先生として、子どもを教育していた。これは、徳川家が子どもを通して、盛親を監視していたのだろう。
大阪夏の陣後、六条河原で処刑され、首級は四条で吊るされた。その場所は現在パチンコ屋になっており、屋上に鳥居がある。首級がさらされていることを哀れに思った蓮光寺のときの住職である蓮光上人が京都所司代の板倉勝重に掛け合い、首級を蓮光寺に埋葬した。
盛親の遺品は高知県にもなく、ここにしかない。刀、鐙、鎧が残されている。長宗我部家は人気があり、全国から沢山の人がお参りに来る。
「徳川家が子どもを通して、盛親を監視していた」という考えは持っていなかったので、興味深かったです。
長宗我部盛親のお墓
本堂を出た後、本堂裏側の墓地にある長宗我部盛親のお墓に行きました。お墓の場所は少し迷いましたが、長宗我部盛親の説明が書かれた案内板があり、お墓の土台には「長宗我部土佐守秦盛親之墓」と書かれていますので、間違えることはないです。
私は父親が高知県出身なので、戦国大名の中でも長宗我部家には思い入れがあります。長宗我部信親が戦死しなければ、盛親の人生は全然違うものになっていたことでしょうから、やはり、信親の死が長宗我部家に及ぼした影響は計り知れないです。
最後に
蓮光寺のご本尊は快慶作と言われる阿弥陀如来像であり、負別阿弥陀如来と呼ばれ、興味深い縁起があります。御住職の法話も有意義ですので、京都浄土宗寺院特別大公開の期間中に蓮光寺を訪れることをお薦めします。
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