G-VW312H5567

石田三成に会いたければ、彦根 宗安寺を訪れよ

宗安寺

訪問日:2022年5月21日
彦根は徳川家とゆかりの深い井伊家が治めていた土地ですが、彦根市にある宗安寺には、豊臣家とゆかりのある人物に関するものがいくつか残されています。具体的には
・木村重成の墓
・淀殿の念持仏と伝わる阿弥陀如来像
・石田三成ゆかりの石田地蔵尊
であり、本ブログでもいつか取り上げたいと常々思っていたところ、訪れる機会に恵まれましたので、訪れ、それらを拝観してきました。

宗安寺へ

JR彦根駅で下車し、のんびり歩きながら宗安寺へ。宗安寺は夢京橋キャッスルロード沿いにありますので、迷うことはないと思います。しばらくすると宗安寺の赤門に到着。
後ほど堂内を拝観した時、宗安寺の紹介ビデオを見たのですが、そこで、
・門は佐和山城の城門であった
・赤色なのは、徳川家康の位牌を祀っているからである
とありました。「徳川家康の位牌を祀っているから赤門である」は納得の理由です。

赤門

赤門

木村重成の墓

赤門から境内に入り、本堂で手を合わせ、向かって左の地蔵堂を見ると、「血染のすすき」という案内がありました。案内板の説明と拝観時にもらった「木村長門守重成公首塚の由来」を参考に内容を要約すると

  • 大阪夏の陣で、木村重成は井伊直孝隊と戦い、敗れ、首を取られました。井伊家家臣である安藤長三郎は傍らにあったススキで首を包み、井伊直孝に差し出しました。徳川家康による首実検の後、安藤長三郎は首を貰い受け、佐和山の麓の池で洗った後、安藤家の墓がある宗安寺に埋葬しました。
  • 首を包んでいたススキは佐和山下に根付き繁茂しましたが、鉄道の敷設により、根株が佐和山神社に移されました。しかし、佐和山神社が1938年に廃社になり、ススキは井伊神社に移植されましたが、枯死に近い状態になったため、宗安寺に転植したところ、生彩を取り戻しました。

となります。
ススキを見ると、確かに元気に生い茂っており、これからも元気に育ってほしいと思います。

血染のすすき

血染のすすき

地蔵堂の横に「木村重成公首塚」と案内板があり、墓地に入りました。木村重成の首塚は五輪塔であり、その横には重成の御首を持ち帰った安藤長三郎代々のお墓がありました。
大坂の陣で豊臣側についた武将には色々と思惑があったと思います。そのあたりのことを書いた直木賞作家の今村翔吾さんの小説「幸村を討て」はお薦めです。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

幸村を討て (単行本) [ 今村 翔吾 ]
価格:2200円(税込、送料無料) (2022/5/28時点)

個人的には、木村重成は純粋に豊臣家のために戦ったと思える武将です。その点は石田三成と通じるものがあり、木村重成の首塚と石田三成の三成地蔵尊が宗安寺に一緒にあるのは不思議な縁だと感じます。

首塚の案内

首塚の案内

淀殿の念持仏である阿弥陀如来像

拝観料200円を払い、堂内に入ります。まずはビデオを見て、次に本堂で御本尊の阿弥陀如来像を拝観です。案内には
 1615年の大阪夏の陣で、井伊家家臣である所藤内が大阪城の仏間より拝持したもので、淀殿の念持仏と伝えられている
とありました。

大阪城の仏間にあり、きっと淀殿も拝んでいたと考えられるので、淀殿の念持仏と伝わっているのでしょう。では、なぜ仏間にあった阿弥陀如来像をわざわざ持ってきたのでしょうか。豊臣家は戦に敗れ、滅亡してしまったので、ご利益のない仏様と考えてもおかしくないのにです。

わざわざ持ってきた理由、それは、阿弥陀如来という仏様の役割に関係があると思います。阿弥陀如来は人々を極楽浄土に生まれ変わらせる仏様です。本尊は立像で、印相は来迎印であり、正に上記の役割を願って作られた像です。
大坂の陣は徳川家がかっての主君であった豊臣家を滅ぼした戦いです。日本では古来より、恨みを持って死んでいった者の祟(たたり)を恐れました。当然、徳川家は豊臣家の祟を恐れていました。
阿弥陀如来は先程書いたように亡くなった人々を極楽浄土に生まれ変わらせる仏様です。つまり、豊臣家ゆかりの人々が徳川家に対して恨みを持たず、極楽浄土に生まれ変わらせる目的のために大阪城の仏間にあった阿弥陀如来像を持ち帰り、大切に祀ったのだと思います。

石田地蔵尊

本堂から戻り、次は石田地蔵尊と呼ばれる地蔵菩薩像を拝観します。案内によると
 石田三成が佐和山の麓に建立した瑞岳寺に安置されていた
とのことです。

この地蔵菩薩像はとても聡明なお顔をされており、若い頃の石田三成はこのようなお顔をされていたのではと思ってしまいます。ですので、本記事のタイトルは「石田三成に会いたければ、彦根 宗安寺を訪れよ」としました。
像を見ていると、真っ直ぐに正面を向いた顔は迷いのない表情に見え、どんなに困難でも正義を貫こうという覚悟を感じました。戦国時代好きの皆様、特に石田三成ファンの方は像を拝観した時、それぞれ感じるものがあると思います。

地蔵菩薩像の隣には千体仏も安置されていました。案内には
(瑞岳寺に)石田地蔵尊の横に祀られていた阿弥陀如来の化仏であり、三成の念持仏とも言われている。また領民が供養のために納めたとも言われている
とありました。

個人的には、念持仏とも考えられますが、全部で983体の阿弥陀如来の小さな化仏があるので、三成の供養のために領民の一人ひとりが一体の化仏を納めたという説のほうがしっくりきます。

最後に

宗安寺は訪れる価値のあるお寺ですので、彦根に訪れた際は是非とも訪問してください。特に石田三成ファンの方にはお薦めです。

※この記事が参考になったならば、下のハートマークを押していただけると嬉しいです。

関連記事

  1. 山門から見た金堂

    武田信玄、徳川家康ゆかりの峯薬師公開:甲斐善光寺

  2. 本多忠朝の五輪塔墓碑

    本多忠朝の五輪塔墓碑を祀る一心寺

  3. 仙波東照宮

    仙波東照宮特別公開(徳川家康御神体)の感想

  4. 太融寺境内案内図

    淀殿のお墓:大阪 太融寺

  5. 甲州市は武田の聖地

    武田家の家宝「楯無鎧」の公開に行きました

  6. 吉兆の大亀の説明

    北条氏康ゆかりの吉兆の亀:松原神社

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

訪城記(ブログ)一覧