訪問日:2025年12月13日
横浜市歴史博物館では「北条幻庵 -横浜・小机城と関東の戦国-」展が2025年11月22日から2026年1月18日まで開催されており、その関連イベントとして、
「北条幻庵と戦国の城郭 -小机城のこれからを考える-」講演会
が開催されました。
事前応募の結果、参加できることになりましたので、当日博物館を訪れ、聴講してきました。以降、黒田基樹先生の基調講演
「北条幻庵宗哲と関東の戦国」
で印象に残った内容を書きます。
北条幻庵宗哲と関東の戦国
北条幻庵の展覧会が開催されるのは初めてであり、今後開催されることはないだろう。
→
「今後開催されることはないだろう」は冗談も含んでいるでしょうが、小田原北条氏が大河ドラマに選ばれ、そこで小田原北条氏の研究が進み、幻庵展が再び開催されることを期待します。
幻庵の家系は久野北条家と呼ばれ、代を重ねた北条家の分家はもうひとつ玉縄北条家があるのみである。
→
玉縄北条家は比較的目にすることがありましたが,久野北条家は今回の展示は初めて知りましたので、しっかりと覚えます。
幻庵は通称であり、通称の例として、北条家では早雲や相模守がある。相模守は氏康と氏政が該当するので、通称のみでは誰だか判断できない。よって、通称+実名として、幻庵宗哲と記載している。
→
講演前にWikipediaの北条幻庵を読んでおり、そこで呼び方として、
黒田基樹は「幻庵の正確な正式名称は『長綱』と『幻庵宗哲』であり、幻庵という呼び方は正しくない」と主張し、自身が執筆した『戦国北条家一族事典』(戎光祥出版、2018年)では幻庵ではなく「宗哲」で項目を立てている。
と書かれており、イマイチ意味を掴みきれていませんでしたが、講演を聞いて、意味を理解できました。
幻庵は川越合戦に参加しているが、江戸時代の軍記物で北条綱成の活躍が描かれているので、幻庵の影が薄い。格としては綱成より幻庵のほうが上なので、総指揮官は幻庵であっただろう。
→
私も川越合戦時に川越城にいたのは北条綱成のイメージが強く、幻庵がいたことは本展示まで知りませんでした。幻庵に対するイメージが大きく変わる事実です。
幻庵は一門の中で地位の低い者の面倒を見ている。これは他の大名家でも見られ、例えば、織田家では織田信次がそのような役割を担っていた。
→
他の大名家でも幻庵のような立場の人がいたというのは、興味深い事実です。
幻庵が亡くなったのは、天正13年11月1日であり、これは最新の研究結果である。
→
Wikipediaには
没年に関しても、天正11年(1584年)、天正12年(1585年)などの説もある。
とありますが、講演を聞いた後は天正13年と記憶されました。
最後に
黒田先生の説明は分かりやすく、毎回とても楽しみにしています。
北条幻庵に関して、先週の展示解説及び今回の黒田先生の講演で理解が大幅に深まりました。











この記事へのコメントはありません。