7月4日、dTVチャンネルで「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん 知れば知るほど愛おしい直江兼続」を見ました。直江兼続は大河ドラマ「天地人」で一般には有名になった武将ですが、私は前田慶次が主役の小説「一夢庵風流記」や漫画「花の慶次」に出てきた直江兼続の印象が最も強いです。
番組の冒頭、直江兼続がかぶっていた兜につけられていた前立の「愛」は何を表しているのかという話になり、ゲストの外川淳さんは愛は直江兼続が信奉していた愛染明王の「愛」から取られており、小和田泰経さんは愛宕権現の「愛」を表していると話されていました。私は愛宕権現の「愛」だと考えていますが、理由は後で書きます。
愛染明王の「愛」
ネットで少し調べると、愛染明王説を取る人の考察として以下がありました。
(1) 上杉謙信(景勝)は毘沙門天を信仰していた。
(2) 毘沙門天は仏教の仏である。
(3) 愛染明王も仏教の仏だが、愛宕権現は神道の神である。
(4) 毘沙門天と同じ仏ということで、「愛」は愛染明王である。
上記は明治時代以前の「神仏習合」という考えを無視しています。神仏習合とは、神道の神様は仏教の仏様が姿を変えて現れたものという考えです。具体的には、愛宕権現は勝軍地蔵という仏が姿を変えて現れたものと考えられていました。つまり、神仏習合の時代は神も仏も同じと考えられていたので、「愛染明王は仏だが、愛宕権現は神である」という考えは成立しないのです。
私の考え:愛宕権現の「愛」
愛宕権現の「愛」と考える時、重要となってくるのが先程述べた「勝軍地蔵」です。
私は勝軍地蔵といえば、京都・清水寺を思い出します。清水寺の御本尊は千手観音で、脇侍は毘沙門天と勝軍地蔵です。清水寺には、毘沙門天と勝軍地蔵が協力して敵に立ち向かったという逸話が残されています(清水寺:地蔵菩薩と毘沙門天)。つまり、勝軍地蔵とは毘沙門天と協力して戦う仏なのです。ですので、毘沙門天を信仰していた上杉景勝と共に戦う直江兼続がかぶっていた兜の「愛」は愛宕権現の「愛」を表すと考えるのはごく自然の流れです。
とはいえ、「何故清水寺なのか」という疑問が残ります。その答えは、清水寺を建立した坂上田村麻呂にあると思います。征夷大将軍として東北地方で戦った坂上田村麻呂は東北地方で非常に尊敬されており、東北と近い越後でも同じように尊敬され、清水寺に伝わる毘沙門天と勝軍地蔵の伝承にも触れていたのではと思います。
最後に
私の考えをまとめると以下となります。
(1) 愛宕権現は勝軍地蔵という仏が姿を変えて現れたものである。
(2) 勝軍地蔵は毘沙門天と共に敵と戦う仏である。
(3) 上杉景勝(毘沙門天)と共に戦う直江兼続は自身を勝軍地蔵、つまり、愛宕権現とみなしていた。
(4) 直江兼続の兜の愛は愛宕権現の「愛」を意味する。
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