訪問日:2019年10月20日
まいまい京都が主催するツアー「【御土居】タモリさんを案内したガイドと、御土居でOh!西ノ京御土居へ~プールになった御土居!?京都高低差崖会と、巨大土塁凸凹ツアー~」に参加しました。今回も非常に内容が濃く、御土居はもちろんのこと、御土居は洛中と洛外を分ける境界線ですので、境界線で発生したディープな歴史にも触れることができ、とても有意義でした。
本記事では最初に訪れた北野中学御土居と最後に訪れた市五郎大明神御土居について、簡単に書きたいと思います。濃厚な内容は是非、ツアーに参加して、体験してみてください。
北野中学御土居
御土居の全体図を見ると、左側中央辺りに小さな四角形が飛び出しています。この四角形の左上角の部分に北野中学校はあります(御土居を何故小さな四角形が飛び出すような形で築造したのか。西ノ京と深く関わるその理由はツアーに参加して聞いてください)。
校庭の片隅に御土居が残されています。
御土居には石段があり、上れるようになっています。
上りきり、反対側を見ると、プールとテニスコートがありました。
元々は御土居の掘を利用した50mのプールでした。ですので、プール場の横幅が御土居の堀の幅とほぼ一致しており、プールの観覧席は土塁を利用して作られています。御土居を基にしたプールが令和の時代にあると知ったら、豊臣秀吉はさぞ驚くと思います。「北野中学校のプール場は守っていくべき歴史的資産である」というガイドの梅林さんの意見に納得しました。
市五郎大明神御土居
北野中学校の御土居は学校の施設の一部になることで残りましたが、市五郎大明神御土居は信仰の対象となることで現在まで残りました。
開発が進む中、御土居は次々に壊されていきました。しかし、ここの御土居は壊そうとしたところ、次々と不幸が起こったため、破壊を免れ、神として祀られるようになったそうです。
市五郎大明神のGoogleクチコミの中に興味深いものがありました。
御土居の旧跡の中に社殿があります。まわりの御土居がすべて潰されて住宅地になる中、ここだけ残ったのは、このお稲荷さんがあったからではないでしょうか。
普通は上記のように考えると思います。しかし、事実は逆で、御土居が信仰の対象として残され、その上に社(稲荷神社)が祀られるようになったのです。
御土居は京都を外敵から守る役目があり、外敵とは目に見えるものだけではなく、疫病など目に見えないものも含まれていました。「それらを防いでいた御土居が信仰の対象になるのは自然な流れである」という意見にも納得しました。
最後に
現存している御土居を自身の目で見ることはとても有意義で、御土居に対して、ますます興味が沸いてきました。また京都の歴史の深さを再認識したツアーでもありました。京都を熟知したガイドの方が案内する、まいまい京都のツアーはどれもお薦めです。
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