転用石が印象深い大和郡山城

大和郡山城

訪問日:2019年10月26日
興福寺で開催されている南円堂と北円堂の同時開扉の拝観をメインに奈良を訪れました。新幹線に乗り、JR京都駅へ、そこから近鉄に乗り換え、一路奈良へ。当初は興福寺の前に別の寺社を拝観する予定でしたが、乗車した電車の行き先が橿原神宮前行で、近鉄郡山駅に停車するため、予定を変更して、郡山城を訪れることにしました。

郡山城へ

近鉄郡山駅で下車。下調べをしていないので、どう行けばよいか分からず、Googleマップで確認します。すると、郡山城は近鉄の線路に西側にありますので、線路の西側を歩いて、お城に向かうことにしました。しかし、これは失敗で、立入禁止の郡山高校に間違えて入るところでした。

線路の東側に移動し、少し歩くと、郡山城案内絵図がありました。その絵に従って、天守台を目指し歩いていると、鉄御門跡や竹林橋櫓跡の石垣が見え、「お城に来たな」という感じになりました。

大和郡山城絵図

大和郡山城絵図

石垣と水掘

石垣と水掘

柳澤神社

少し歩くと、柳澤神社がありました。石柱に「祭神 旧川越、甲府城主 柳澤美濃守吉保公」と書かれており、先月に山梨県の恵林寺を訪れた際、柳沢吉保夫妻のお墓があったことを思い出しました。柳沢吉保の長子である吉里の代に甲府から郡山に国替えになり、以降、明治維新まで柳沢氏が郡山城主を務めたそうです。

柳澤神社

柳澤神社

転用石

神社でお参りした後、少し歩くと、天守台に到着しました。天守台を眺めていると、ボランティアガイドの方が声を掛けてくれ、天守台のガイドをお願いしました。ボランティアガイドの方の説明は無料ですので、特に初めて訪問した方はガイドをお願いしましょう。私が訪れている時は、来城者の全員がガイドをお願いしていました。

大和郡山城の天守台と言えば、さかさ地蔵が有名です。頭部を奥にうつむきに積み込まれているため、さかさ地蔵と呼ばれています。案内には
郡山城は筒井順慶の縄張りに始まり、豊臣秀長の時代に大規模に築城されました。石材が乏しい上に築城を急いだので、転用石材が多数使用されたのですが、当時信仰の対象となっていたものさえ、容赦なく使うところに城づくりの凄まじさがうかがえます。
とありました。

現代人の発想からすると、お地蔵さんを石垣の一部として使用することは罰当たりなことだと感じます。しかし、現代人と当時の人の価値観は当然違いますし、現代人の価値観で歴史を見るのは正しいことではないと思います。

さかさ地蔵

さかさ地蔵

また羅城門の礎石と考えられている石もあります。説明を聞いている時、羅城門と言えば、平安京の羅城門を思い浮かべ、「なぜ京都からここに運んだのか」と思いましたが、平城京の羅城門ですね。

羅城門の礎石

羅城門の礎石

梵字がはっきり分かる石もありました。五輪塔の一番下の部分とのことで、お寺の多い奈良らしいなと思いました。

梵字

梵字

天守

郡山城の天守は絵図や文献がほとんど残っていないため、実在していたかも含め諸説紛々となっていたそうです。しかし、平成26年の発掘調査で礎石が発見され、天守が実在していたことが確認でき、また豊臣とゆかりのある文様の瓦が礎石を覆う土から出土したことから、礎石の年代は豊臣政権期と考えられるそうです。その天守は関ヶ原の戦い後に解体、以後、天守は再建されなかったそうです。

天守からの眺めが良かったです。周辺には高層ビルなど無いため、見晴らしがとても良いです。興福寺、東大寺、薬師寺などが見え、寺社の力が強い奈良では、それらを監視する意味もあったのだろうなと思いました。

天守からの眺め

天守からの眺め

天守台の後、柳沢文庫に入り(300円)、常設展を見学(柳沢文庫で御城印を購入しました)。そして、追手門、追手向櫓、東隅櫓などを見て、郡山城を後にしました。

追手向櫓

追手向櫓

最後に

ボランティアの方によると、郡山城は桜の名所とのことで、機会があれば、桜の季節に訪れてみたいです。



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