大和郡山城(奈良県大和郡山市)

大和郡山城とは

1580年に筒井順慶が入城、大和国唯一の城郭として築城が開始され、1585年に入府した豊臣秀長によって本格的に整備されました。1595年に入府した増田長盛による外堀普請で完成した城郭の形状は現在までその姿を良好に保っています。

関ヶ原の戦い後、一時在番支配となりますが、大坂、京都に近い要衝として幕府に重要視され、1615年に復興。水野、松平、本多といった譜代大名が相次いで城主を務めました。

1724年、甲斐国甲府より柳沢吉里が入府し、以降、幕末まで安定した治世が続き、江戸時代を通じて、大和国の政治、経済、文化の中心地として繁栄しました。

郡山城にある案内板を参照

雑感

大和郡山城と言えば、個人的には羽柴秀長を思い浮かべます。大和郡山城は兄である秀吉を支え続けた秀長の居城に相応しいと感じ、秀長が長く生きていれば、その後の歴史は大きく変わっていただろうと思います。

郡山城の見どころの一つは転用石であり、逆さ地蔵が特に有名です。また周りに高層ビルが無いため、天守からの眺めが非常に良いのも特徴です。大和郡山城は日本百名城には選ばれておらず、続日本百名城に選ばれています。これ程のお城が何故、日本百名城に選ばれなかったのか不思議です。

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