高取城(奈良県高市郡)

高取城とは

高取に初めて城が築かれたのは南北朝期と言われており、奈良から吉野へと通じる交通の要衝として、地元の豪族である越智氏が拠点としていましたが、当時は一支城に過ぎませんでした。
天正8年、織田信長による「城割」の命が下り、大和国は郡山城を残し他の城は全て破却することとなりましたが、同12年、大和国を治める筒井順慶は高取城を郡山城の詰の城として定め、改修を行っていきました。その後、筒井氏に代わって大和国に入った羽柴秀長は家臣の本多利久を入城させ、同17年に大改修を命じました。
徳川の世になった後も本多氏は引き続き高取城に入り、慶長5年には2万5千石に加増されました。本多氏が三代で断絶すると、寛永17年に植村家政が本多氏と同石高の大名として入り、高取藩初代藩主となりました。以後、明治維新までの14代の長きにわたり、植村氏による高取藩が存続しました。

高取町発行の「日本一の山城 大和高取城」から要約

雑感

日本三大山城に数えられる高取城に訪れたいと思うお城好きは多いと思います。しかし、それなりの山城ですので、最初はガイドの方(あるいは訪れたことのある人)と一緒に訪れ、その後、個人で訪れるのが良いと思います。
また車でも途中まで行くことが出来ますが、やはり、城下町の麓から歩いて登るのがお薦めです。山上の石垣群を見たいだけならば車でも問題ないですが、やはりお城全体をじっくり味わいたいものです。

訪城記

お薦めサイト

訪城記(ブログ)一覧