甲府城(山梨県甲府市)

甲府城とは

1582年に武田氏が滅亡すると、甲斐国は織田信長の領国となり、本能寺の変で織田信長が討たれると、徳川家康の支配下に置かれました。

豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、秀吉の命により、甥の羽柴秀勝と腹心の部下である加藤光泰らによって、築城が始められ、浅野長政・幸長父子の手により、完成をみました。1600年の関ヶ原の戦い以降、甲斐国は再び徳川家の領国となり、江戸時代前期は徳川将軍家の一門が、中頃には柳沢吉保が城主となり、城と共に城下町も整備されました。柳沢家が大和郡山に転封になると、再び幕府の直轄地となり、幕末を迎えました。

「舞鶴城」、「甲府城山手御門」リーフレットを参照

雑感

「山梨県イコール武田家」というイメージが強いため、甲府を訪問した際、武田神社(躑躅ヶ崎館)は訪れても、甲府城は訪れないということがありました。しかし、甲府城に久しぶりに訪れ、「良いお城だな」と感じ、武田家以降の豊臣政権下における甲府にも興味が出てきました。

江戸時代には、楽屋曲輪で温泉が湧き出していたそうで、もし城内に再び温泉が湧き出たならば、トップ10に入る人気のお城になると思います。

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