訪問日:2022年11月24日
11月23日、日本お城サロンのツアーで彦根城を訪れました。しかし、あいにくの雨で、写真もほとんど撮らず、またツアーでは途中で気づいたことがあっても別行動する訳にはいかず、晴天となった24日に再訪しましたので、その時のことを書きます。
鐘の丸馬出
小和田先生のセミナー「彦根井伊家の歴史とその謎に迫る」を聴講して、鐘の丸に興味を持ったので、鐘の丸は訪れたかった場所です。
鐘の丸の案内には
築城当初、鐘楼が当地に存在したため鐘の丸と称すが、鐘の音が城下北方に届かなったため、太鼓丸の現在地に移設したという。この鐘の丸には「大広間」や「御守殿」などの建物が存在したが、大広間は亨保17年(1732年)に解体されて江戸へ運ばれ、彦根藩江戸屋敷の広間に転用されたようである。
とあり、馬出に関しての説明はありませんでした。馬出の説明は出郭にあり、
西の丸三重櫓の外には、裏手からの敵の侵入を阻止するため、尾根を断ち切るように大堀切が設けられている。大堀切に掛かる木橋の外にあるのが「馬出」の機能を持った出郭である。「井伊年譜」には、この出郭の石垣は、石工集団として知られる穴太衆が築いたと伝えられている。
とありました。
鐘の丸周辺の紹介では
・大堀切は彦根山の尾根を断ち切るように構築された空堀である。
・攻城側は天秤櫓方向に背を向けながら進まなければならない箇所がある。
・廊下橋は、いざという時には落とすこともできるようになっていた。
などがよく挙げられ、これだけでも十分に魅力的ですが、馬出の紹介が加われば、更に魅力的になると思います。
猪目
猪目石は、2020年のお城EXPOの小和田先生の講演「呪術からみた日本城郭史」で興味を持ち、その後、出版された小和田先生の本「戦国城郭に秘められた呪いと祈り」も購入しました。
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猪目石とは、ハート形をした石垣のことで、その名の由来は、猪の目のような形をしていることからきていると言われており、昔から刀剣の鍔(つば)の透かし部分や、神社の器物にこの模様が彫られていることが多いので、魔除け、招福としてとらえられており、それが城の石垣にも取り込まれたものと考えられています。
※ 「戦国城郭に秘められt呪いと祈り」より引用
猪目石を知って以来、お城に行くたびに猪目石はないかと探しており、今回ついに猪目石ではないかと思える石垣を見つけました。場所は天秤櫓の打込ハギの箇所です。
この石垣が猪目石かどうかは人それぞれ違う意見があると思いますので、是非、現地で確かめてください。
一方、彦根城で完全なハート形をみることができる場所があります。それは、天守の飾り金具です。
写真でわかるようにはっきりとしたハート形の猪目が確認できます。
また果物の形をした飾り金具もあります。最初、これは猪目と同じ魔除けの効果がある桃だと思っていました。しかし、帰り道に開国記念館に立ち寄ったところ、3つの葉がついた橘の実をモチーフにしたものと説明がありました。井伊家の家紋は橘であり、それに由来した金具とのことです。
鏡石
虎口や枡形付近に、ひときわ大きな石が置かれていることがあり、これを鏡石と呼んでいます。そしてその意味を、
・自己の権威を見せつけるもの、城攻めをしてくる相手に対し、威圧するもの
としています。
※ 「戦国城郭に秘められt呪いと祈り」より引用
しかし、お城EXPO2020における講演で小和田先生は、鏡石という名前が示すとおり、魔を跳ね返す呪術的な意味もあるのではないかと話されていました。
彦根城にもいくつかの鏡石があり、太鼓門櫓には両脇に鏡石があります。
寺院の山門に阿形、吽形の仁王像が安置され、外から魔が入ってこないように見張っているのと同様に、この鏡石も魔が太鼓門櫓の中に入ってこないように置かれていると考える方が自然に思えます。
元々は宗教的意味を持っていたが、時代が下るに連れ、宗教的意味が失われてしまったものは多数あります。鏡石も元々は宗教的(呪術的)意味を持っていたが、時代が下るに連れ、その意味が失われていき、城主の威厳を示すものという意味のみになったと感じます。
※訪問当日には気付かなかったのですが、左右の鏡石の色が異なります。向かって右側が明るい色、左側が暗い色をしています。つまり、右側が陽(明)、左側が陰(暗)であると言え、呪術的なものを感じさせます。鏡石があるお城は多いですが、呪術的なものを感じさせる鏡石があるお城は少ないと思いますので、とても貴重ではないでしょうか。
最後に
ここ数年、毎年のように彦根城を訪れていますが、それでも新しい発見があり、彦根城は素晴らしいお城だと改めて認識しました。まだまだ知らないことがたくさんあると思いますので、これからも彦根城を訪れたいと思います。
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