嵐山史跡の博物館企画展「越山 上杉謙信侵攻と関東の城」に行きました

越山

訪問日:2019年1月26日
埼玉県比企郡にある嵐山史跡の博物館では2018年12月1日から2019年2月17日まで企画展「越山 上杉謙信侵攻と関東の城」を開催しています。この企画を知ったとき、興味深いタイトルでしたので、必ず訪れようと思いました。また訪れるならば、学芸員による展示解説がある日が良いと思い、結果、1月26日に訪れることにしました。

武蔵嵐山

展示解説は午後1時30分からですので、武蔵嵐山駅に12時1分に到着する電車に乗りました。下車し、改札を出ると、続日本100名城に選ばれている杉山城と菅谷館跡の方向を示す案内がありました。やはり、続日本100名城で訪れる人が多いのでしょうね。菅谷館跡と嵐山史跡の博物館があるのは西口ですので、西口から外に出ました。

時間的に昼食をとろうと思い、駅周辺を歩いていると、「喫茶モール」というお店があったので、入りました。昭和的な雰囲気の喫茶店でなかなか良かったです。嵐山史跡の博物館を訪れる場合の昼食場所としてお薦めです。食事後、のんびり歩いていくと、嵐山史跡の博物館に到着しました。

嵐山史跡の博物館

嵐山史跡の博物館は菅谷館跡にある博物館ですので、土塁などがあり、テンションが上ります。歩を進め、博物館に入り、入館料100円(安い!)を払い、まずは展示を一通り見ました。そして、展示解説が始まるのを待っていると、定刻に始まりました。

嵐山史跡の博物館

嵐山史跡の博物館

1.上杉謙信と越山

まずは紺地日の丸の旗があり、これは上杉謙信が最も大切にした旗とのことです。また「毘」と書かれた旗と「龍」と書かれた旗もありました。毘の旗は陣を示す、龍の旗は攻める時に使用した旗とのことで、旗によって役割が決められていたのは興味深かったです。

上杉謙信の越山は17回行われたそうで、有名な川中島の戦いよりはるかに多い回数ですので、驚きました。また17回行われたことは分かりますが、残された書状には命令書や報告書が多く、どのような戦いがあったかは分からないので、それを城から出土した遺物から考えるのが今回の展示の趣旨とのことです。

書状では、1559年に上洛した時、足利義輝から上杉憲政が関東を支配できるよう尽力するように命じる文書、第二次越山時に上杉謙信に味方した関東諸士の名前が書かれたものがありました。

説明ではなかったのですが、後で図録を読むと、1552年の第一次越山は上杉憲政から救援の要請で行われましたが、関東諸士は、いち戦国大名の私戦とみなし、味方しなかったため、成果をあげることができなかったそうです。しかし、1559年に足利義輝からお墨付きをもらったので、1560年から翌年にかけての第二次越山では、小田原城を包囲し、鎌倉の鶴岡八幡宮で関東管領職を譲り受けるという、17回の越山で最も成果があったそうです。つまり、当時の関東諸士には室町幕府の権威は絶大だったことが分かります。

また、1560年から翌年にかけての第六次越山で北条に敗戦し、上杉謙信の威信は大きく崩れ、1569年の越相同盟により反北条の諸士の信頼を失ったという内容は興味深かったです。

2.戦国時代の戦の舞台「城」とは何か

戦国時代の戦は城の取り合いであり、野戦は珍しかったそうです。城は政治、経済、文化の中心地であり、「城を取ること」イコール「その地域を取ること」だったそうです。展示では、政治を示す硯と砥石、経済を示す中国製の高級陶磁、文化を示す茶道具などがありました。実は展示解説の前にそれらを見た時、少し見たただけでほとんど飛ばしていたのですが、展示解説を聞き、その意味が良く分かり、有意義でした。

3.上杉謙信の越山と城攻め

鉄砲の玉を作るには火薬が必要ですが、足利義輝から上杉謙信に送られた火薬の調合の仕方を記した秘伝書が展示してあり、謙信は上洛時、そのようなものまでもらっていたのかと驚きました。また「関東にいち早く鉄砲をもたらしたのは上杉謙信だったとされる」という文章にも驚きました。

城跡から発見された鉄砲の玉の材料には、鉄、鉛、青銅の3種類があるそうです。鉛が一般的で一番上手く飛ぶそうで、鉄は大きな玉に多く、青銅はお寺の梵鐘や銭を溶かしたものもあるそうです。

城跡の発掘調査では、武器を多く出土する少数の城とほとんど出土しない多数の城があり、これは、

  • 武器を多く出土する城 ⇒ 銃撃戦、弓射戦の後、攻め手が場内に入り打物戦が行われた城
  • 武器をほとんど出土しない城 ⇒ 銃撃戦、弓射戦のみが行われた城

であったことを意味しているそうです。前者の城は、騎西城、葛西城、山中城とのことです。山中城は豊臣秀吉との戦いですのが、騎西城、葛西城は上杉と北条の戦いであり、今回の展示の趣旨、城から出土した遺物からどのような戦いがあったかを考えるが伝わってきました。

4.関東の戦国時代と越山

上杉謙信は関東諸士に請われて越山し、相手が降参すれば、許していました。これはあくまでも関東管領、つまり、室町幕府をトップとした組織の中で関東を治めようと考えていたからであり、一方、北条氏は国人を滅ぼしたり、追放したりしていました。展示にあった「越山の終わりは関東の近世の始まりと評価してよい」と文章が印象に残りました。近世かは分かりませんが、北条氏が室町幕府に代わる新しい秩序を関東地方にもたらしたのは間違いないと思います。また上杉謙信を義の人と言いますが、それは良い見方で、悪い見方をすれば、室町幕府の秩序から抜け出せなかった人と言えると思いました。


最後に

戦国時代関連の展示会で学芸員の展示解説を聞いたのはこれが初めてでしたが、仏教美術の展示会と同様、とても有意義でした。今後も学芸員の展示解説があるならば、積極的に参加したいです。

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