訪問日:2022年3月13日
2022年京の冬の旅で特別公開されている報恩寺を訪れました。報恩寺は黒田長政が亡くなった場所であり、京の冬の旅で公開される寺院を見た時、訪れたいなと思ったのでした。
京の冬の旅
京の冬の旅は拝観料が800円で、ガイドの方が説明をしてくれます。報恩寺での説明は大きく2つに分かれており、1つ目は黒田長政往生の部屋を含む本堂の説明、2つ目は鳴虎の説明でした。
黒田長政 薨去(こうきょ)の間
本堂の左部屋に黒田長政が往生した客殿上段の間があります。黒田官兵衛と黒田長政の位牌があり、長政の位牌の方が官兵衛のものより大きいです。これは、長政は筑前52万石を治めた黒田藩の大名ですが、官兵衛は秀吉の一家臣であり、身分の差により、大きさに差があるとのことです。
長政は元和9年(1623)8月4日に亡くなり、案内に薨去の間と書かれていました。「薨去(こうきょ)」の意味が分からなかったので調べると、
・皇族または三位(さんみ)以上の貴人の死去すること
だそうです。
長政の辞世の句「このほどは 浮世の旅にまよひきて いまこそかへれ あんらくの空」も書かれていました。「六道輪廻を繰り返してきて、今回は人間界に生まれたが、今度こそは阿弥陀如来のいる極楽浄土へ生まれたい」という意味であると理解し、昔の人は仏教の教えが身近にあったんだなと思いました。
辞世の句「いまこそかへれ あんらくの空」が極楽浄土への往生を願う、及び報恩寺は浄土宗のお寺なので、長政は浄土宗を信仰をしていたのかなと思い、ネットで調べると、長政の母である光姫が熱心な浄土宗の信者だったそうです。
鳴虎
鳴虎図は中国で作られたと分かる特徴が3つあるとのことで、1つ目はカササギが描かれており、カササギは当時の日本にはいなかったそうです。2つ目は虎が松と一緒に描かれていますが、日本では虎は竹と一緒に描かれるそうです。3つ目は虎の瞳の描き方で、日本では虎がいなかったので、猫のような目で描かれたそうです。
この虎の図を豊臣秀吉が気に入り、聚楽第に持ち帰りましたが、夜に謎の動物の鳴き声が聞こえ、秀吉は一睡もできず、翌日の朝、すぐに虎の図を報恩寺に返したという話は有名ですね。
織田信長の肖像画
鳴虎図の向かいに織田信長の肖像画が掲げられており、織田信長の七回忌が厳修された折、近衛前久が詠んだ賛が記されていました。さり気なく展示されていましたが、実は凄いものです。
有名な信長の肖像画もそうですが、こちらの肖像画も烏帽子をかぶっていません。隣に掲げてある豊臣秀吉の肖像画は烏帽子をかぶっているのに何故、信長はかぶっていない姿で描かれているのか不思議です。
最後に
今回の報恩寺訪問ではガイドの方が丁寧に説明をしてくださり、理解を深めることができました。
この記事へのコメントはありません。