訪問日:2019年3月10日
「小机城のあるまちを愛する会」が主催の小机城見学会は元々3月3日に予定されていましたが、当日は雨でしたので、10日に延期になりました。「春に三日の晴れ無し」と言われるように10日の天気も心配でしたが、大丈夫そうでしたので、集合の小机駅に向かいました。
小机駅から小机城まで
集合場所のJR横浜線小机駅改札口前広場に到着すると沢山の人でびっくりです。私は10人ぐらいの参加者だと予想していましたが、50人ぐらいはおられ、改めて、城巡り人気を実感しました。しばらくすると集合時間になりましたので、小机城に向かって出発です。
(補足:小机城のあるまちを愛する会のfacebookページを見ると、参加者は75人だったそうです)
道中、雲松院がありました。こちらは小机城代の笠原信為が創建した曹洞宗の寺院であり、笠原家の墓所があるそうです。当日は立ち寄りませんでしたが、改めて訪れたい場所です。また商店街を歩いた折、「小机城オリジナルのコーヒーを作る予定」、「小机城のグッズを販売する予定」などを聞き、街全体で小机城を盛り上げようとする情熱を感じました。
小机城址市民の森入口で講師である二宮博志さんから挨拶があり、いよいよ城巡りの開始です。以下、印象に残ったことを書きます。
小机城
小机城は発掘がされていないとのことで、本などに小机城の縄張図が載っていることがありますが、それはそれぞれの人がそれぞれの思いで書いているそうです。小机城は当然発掘作業が行われていると思っていましたので、びっくりしました。
小机城には東曲輪と西曲輪があり、どちらが本丸であったか両説があるそうですが、東曲輪と西曲輪をつなぐ、つなぎの曲輪は元々西曲輪と一体で、西曲輪を守るために空堀を掘ったと見られるので、西曲輪が本丸ではないかと考えるそうです。
北条氏による築城の特徴である障子堀、畝堀は小机城ではまだ発見されていないそうですが、畝堀だった可能性がある箇所があるそうで、横浜市が本格的な発掘調査を行い、畝堀が発見されれば、小机城を訪問する人は今の3倍になるだろうと話されていました。
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確かに小机城から畝堀が発見されると大きなニュースになり、全国から城ファンが来ると思いますので、是非、横浜市には調査をして欲しいですね。
西曲輪に馬出があり、「逃げようとする敵を追撃するために兵が出撃しますが、もし馬出がなく、本丸の門を開け、そこから兵が出撃すると、伏兵がいた場合、兵が出撃して遠くに行った後、本丸に楽々と入られてしまう」という解説は現地で聞くと、その場面が想像できましたので、よく理解できました。
小机城は北条氏の武蔵進出の拠点として使用され、その後は北関東攻めの物資輸送拠点として使用されました。しかし、武田家との同盟廃棄後は駿河侵攻の拠点として使用され、蒲原城の戦いで小机衆は多数戦死したそうです。北条家と武田家との戦いでたくさんの戦死者が出たのは三増峠の戦いぐらいしか知らなかったので、蒲原城の戦いを詳しく知りたいと思いました。
その他の写真
最後に
やはり、説明があると分かりやすかったです。小机城をもっと盛り上げるには、見学ルートをきちんと示す必要があるなと思いました。見学会中、今自分がどこにいるか分からないことが多々ありましたし、いきなり訪問して、どういう順番に回ればよいのか分からない人が多いと思います。山中城のようにルートがあり、見どころがきちんと示されていれば、都心からも近いので、もっと多くの人が訪れるようになると思います。小机城はそのポテンシャルがあるお城です。
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