「”伏見幕府”の時代 徳川のメトロポリス・伏見をいく」ツアーに参加しました

訪問日:2019年3月9日
まいまい京都が主催する「”伏見幕府”の時代 徳川のメトロポリス・伏見をいく」ツアーに参加し、京阪線・伏見桃山駅から伏見をめぐりました。本ツアーは有料ツアーであり、詳細を全て書くとガイドの方に悪いですので書きませんが、何も書かないとツアーの良さが伝わらないため、私の印象に残ったベスト3を書きたいと思います。

徳川家ゆかりの御香宮神社

表門は1622年に徳川頼房が伏見城の大手門を拝領して寄進したと伝わっています。また拝殿は1625年に徳川頼宣が寄進し、本殿は1605年に徳川家康の命により建立されました。つまり、御香宮神社は徳川家と縁の深い場所であり、京都では珍しい、徳川の葵の御紋がある神社です。

御香宮神社

御香宮神社

徳川の葵の御紋

徳川の葵の御紋

豊臣秀吉は伏見城築城に際し、鬼門を守るため、御香宮神社を伏見城の北東に移築させました。その後、徳川家康が1605年に元の場所(現在地)に戻しました。これは政治の中心が伏見城から江戸城に移り、伏見城の鬼門を守る必要が無くなったからと考えられるそうです。

徳川家以外とも、ゆかりの御香宮神社

御香宮神社のある場所は小早川秀秋屋敷跡と言われているそうです。これを聞いて、徳川家康が御香宮神社を現在の位置に戻したのは、1602年に亡くなった小早川秀秋の霊を成仏させる意味もあったのかなと思いました。

御香宮神社にはソテツがあり、小早川隆景はソテツが好きだったそうです。今生えているソテツは立派で大きいので、もしかしたら、小早川隆景も見たかもしれませんね。

小早川隆景ゆかり(?)のソテツ

小早川隆景ゆかり(?)のソテツ

境内に天満宮があり、前田家屋敷にあったものだそうです。前田家は自身の先祖が菅原道真だと考えていたので、屋敷に菅原道真の祀る天満宮を建立していたそうです。

伏見城 治部少丸

伏見城跡の大部分は明治天皇稜となっており、立ち入ることは出来ませんが、外から見ることはできます。石田三成屋敷跡の治部少丸があり、石垣は無くなっていますが、小高い丘のようになっていました。

前田利家の死後、加藤清正、福島正則ら七将が石田三成を襲撃しますが、石田三成は伏見の屋敷に立て籠もりました。私は今まで石田三成屋敷は平地にあるイメージを持っていましたが、治部少丸が小高い丘になっており、襲撃事件のイメージが変わりました。また、石田三成は徳川家康の屋敷に逃げ込んだという説もありますが、今回、治部少丸を見て、自身の屋敷に逃げ込んだ説の方が正しいのではと感じました。

最後に

今回、伏見城周辺の様々なことを知ることが出来、有意義でした。特に御香宮神社は訪れたことがなかったので、今度は個人でゆっくり訪問しようと思います。まいまい京都は京都を知り尽くしたガイドの方が説明してくれるのでお薦めのツアーです。

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