勝龍寺城 凸凹ツアー!に参加しました

石垣

訪問日:2020年10月18日
まいまい京都が主催するツアー「【勝龍寺城】梅林崖長と「勝龍寺城」凸凹ツアー!織豊系城郭の始まりを追う~城づくりの実験場!?天下統一の時代、明智光秀・最期の城~」に参加しました。

勝龍寺城は今年の初めに訪れており、山崎の戦いの後、勝龍寺城に入った明智光秀に思いを馳せたりしましたが、勝龍寺城自体は今ひとつ理解できなかったので、ツアーに参加して、勝龍寺城についてより深く学ぼうと思ったのでした。

凸凹ツアー

JR長岡京駅に集合。近世勝龍寺城があったとされる東口から出ると思っていたのですが、西口から外に出て、意外でした(何故、江戸幕府は勝龍寺城の場所を北に移動したかは、後ほど解説を聞き、納得の理由でした)。

西口から出て、西国街道に到着。真っ直ぐに伸びるその姿から、西国街道は近世に整備されたことが分かるそうです。西国街道は勝龍寺城の近くでクランクになっており、クランクは敵の大軍が侵入しずらくするためとよく言われますが、もう一つの理由も話され、なるほどと思いました。

左折し、JRを横切り、しばらく歩き、沼田丸へ。沼田丸への前回の訪問時も訪れましたが、少し見た程度でした。しかし、今回よく見ると、土塁などが残っており、勝龍寺城に訪れた際は沼田丸もよく見る必要があると思いました。

次は本丸へ。本丸では色々なことを教えてもらいましたが、それらはツアーに参加して聞いてもらうことにして、ここでは一つだけ書きたいと思います。現在、復元された勝龍寺城では、南門が表門、北門が裏門になっています。しかし、ガイドの梅林さんは北門が表門、南門が裏門と考えているそうです。

北門桝形虎口

北門桝形虎口

その理由の一つとして、天守の位置を挙げています。勝龍寺城には坂本城と並び最古級の天守があったと言われ、その位置は西辺土塁上とされます。南門が表門だとすると、天守の位置が手前にありすぎることになります。一方、北門が表門だと天守が奥にあることになり、自然な配置になります。非常に納得できる説明で、北門表門説を支持します。

天守の位置(案内板より引用)

天守の位置(案内板より引用)

次は勝龍寺のあるかっての勝龍寺村へ。前回の訪問時は本丸南側にあたる旧勝龍寺村を訪れませんでしたが、今回のツアーに参加して、勝龍寺城を知るには勝龍寺村も訪れる必要があると思うようになりました。

中世には勝龍寺を中心とする勝龍寺村があり、中世から近世の過渡期に村に隣接するように勝龍寺城が築かれました。ですので、本丸より北側と南側では近世と中世の違いを感じることが出来ます。その一つが道路の形状で、近世の北側は直線的な道路が多いですが、南側はそうでないことを現地で実感しました。

勝龍寺

勝龍寺

勝龍寺村は小畑川と犬川に挟まれた場所にあり、川を利用した貿易で栄えた村であると容易に想像できます。現地を歩くと、小畑川と犬川が見え、港だったような場所も確認できます。ですので、勝龍寺城を訪れた際は南側も訪れることをお薦めします。

港跡を想像

港跡を想像

最後は神足城跡を含む北総構へ。前回の訪問時は本丸を見た後、北惣構を訪れようと思っていたのですが、そのことをすっかり忘れて帰ってしまい、訪れていませんでした。

現在、ローソン長岡京ガラシャ通店がある場所が神足城跡になり、神足城の痕跡を利用した土塁、また土塁として利用された神足古墳もありました。加えて、奇麗に整備された土塁、空堀、土橋があり、案内板もあるので、ツアーでなくとも、理解しやすいようになっていました。

土塁、空堀、土橋

土塁、空堀、土橋

最後に

参加目的が勝龍寺城をより深く知ることであり、それが実現できた今回のツアーに大変満足しました。勝龍寺城が中世から近世、その過渡期に築かれた城であることを意識して現地を歩けば、より楽しめると思います。

関連記事

  1. 大阪城(アイキャッチ画像)

    大阪城 テーマ展「戦国の世の祈り」

  2. 彦根城と桜(アイキャッチ画像)

    桜の彦根城

  3. 紅葉ライトアップ

    彦根城 玄宮園 紅葉ライトアップに行きました

  4. 内松陰門

    石垣が素晴らしかった甲府城

  5. 小田原城と桜(アイキャッチ画像)

    桜の小田原城を見に行きました

  6. 岡崎城と本多忠勝像

    三河武士のやかた家康館 企画展「武具に込められた祈り」

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

訪城記(ブログ)一覧