訪問日:2019年3月31日
まいまい京都が主催するツアー「【二条城】徳川将軍の巨大御殿!絢爛豪華なアート空間を味わい尽くす」に参加し、二条城を訪れました。全体的に非常に濃厚な内容で、特に唐門、二の丸御殿内の説明は非常に印象深いものでしたが、それらに関しては実際にツアーに参加して聞いていただくとし、それ以外のことで3つ書きたいと思います。
二条城が持つ2つの顔
二条城は大きく2つのエリアに分けることができる。ひとつは東側の天皇を迎えるためのエリア(エリア1)、もうひとつは西側の天守が存在した城エリアである(エリア2)。現在、二条城に入城する場合、エリア1の入り口である東大手門から入るが、城エリアにある西門とはイメージがかなり異なる。東大手門は一重の門であるが、西門は多くの城でみられる枡形虎口である。西側は西国大名に睨みを利かせるために本来の城のようにしたのではないか。
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確かにエリア1にいる時には「城にいる」という感じがあまりしませんでしたが、エリア2に入ると「城にいる」という感じがしました。
東大手門は、徳川幕府初代将軍である徳川家康が伏見城で征夷大将軍の宣下を受けた後、二条城に入る時に通った門であり、西門は徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜が大政奉還後、二条城を出る時に通った門であり、どちらも歴史上の大きなイベントに関係するもので、その時の様子をイメージするのも楽しいものです。
本丸櫓門
本丸櫓門を初めて見た時、とても変わった形をしているなと思いました。現在も橋がかかっていますが、実は橋は元々は2階橋であり、寛永行幸の際、後水尾天皇は二の丸御殿内から橋の2階の畳廊下を通って、地上を歩くことなく、天守まで行かれたそうです。2階橋の一部は昭和5年頃まで残っていたそうですが、解体され、部材は保管されているそうです。是非、京都市には、2階橋を再建して欲しいですね。天皇と将軍が一緒に歩いた橋、歴史浪漫を感じ、大人気になることは間違いなしだと思います。
案内には「(二条城の天守は)天皇が登った唯一の天守閣と言われている」と書かれていましたが、ガイドの方は「聚楽第の天守にも登ったのではないか」と話されていたのが印象に残りました。
旧二条城の石垣
場内の片隅に永禄12年(1569)に織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭を守るために築いた旧二条城の石垣がありました。京都市営地下鉄烏丸線建設事前発掘調査で、京都御所の西から遺跡が発見され、調査後に二条城に移築保存されたそうです。
徳川家光により、本丸・二の丸・天守閣が完成し、二条城が現在の規模になったのが1626年ですので、1569年から1626年までの約60年の間で石垣の技術が劇的に進化していることが分かり、驚きます。
最後に
今まで二条城と言えば、「大政奉還が行われた場所」、「鶯張りの廊下がある場所」といったイメージを持っていましたが、今回のツアーに参加し、印象がガラッと変わりました。二条城を始めとして京都を深く知りたいという人にとって、京都を熟知したガイドの方が案内する、まいまい京都のツアーはお薦めです。
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