訪問日:2019年11月9日
9月に開催された山中城に関する講演会で山中城のクラウドファンディングの話を聞き、早速申し込みをし、障子堀の中に入れるイベントを楽しみにしていました。その後、台風19号による山中城の被害に関するニュースを聞き、楽しみと心配の両方の気持ちを持ちながら、当日、山中城に向かいました。
※イベントは午前と午後の部があり(内容は同じ)、三島市郷土文化財室から事前に往復はがきが届き、私は午後の部に参加すると返答しました。
主催者挨拶
まずは主催者の挨拶があり、クラウドファンディングの目標額は150万円で、インターネットからの寄付は130万円ぐらいですが、直接、お金を持ってきた人もおり、無事、目標額を達成したそうです。これは良いニュースです。もし達成できなければ、直ぐに山中城の整備が疎かになることはないと思いますが、将来はどうなるか分からない恐れもありますので、達成できて良かったです。
岱崎出丸
次は学芸員による案内ということで、岱崎出丸を訪れ、まずは守る北条方の視点として、曲輪から障子堀を眺めました。はしごが見えますので、あれを使って、堀の中へ降りるのでしょうか。
次は攻める豊臣方の視点として、下から曲輪を眺めます。
そして、はしごを使って、障子堀の中へ。
※堀の中に入っていますが、これはイベント参加者が特別に許可をもらって入っており、通常は障子堀の中に入れませんので、注意して下さい。
現在の深さでも畝を越えるのは一苦労です。もたもたしている間に確実に鉄砲で撃たれます。
障子堀から曲輪を見上げました。傾斜が凄く、何か道具がなければ、絶対に上まで登るのは無理だと思います。
西櫓へ
岱崎出丸を後にして、宗閑寺、二ノ丸、本丸、北ノ丸と見学し、特別に北ノ丸と本丸の間の堀に入れてもらいました。こちらの堀はまだ整備されていないそうで、整備したならば、障子堀が出てくるそうです。整備されていない堀を出たところで、台風の被害の跡があり、胸が痛みました。
歩を進め、西ノ丸の障子堀に来て、ビックリしました。ここの障子堀の風景は山中城の中でもお気に入りなのですが、台風の被害により無残な姿に変わっており、ショックでした。
山中城跡合戦の寸劇
西櫓に到着し、山中城戦国武将隊による寸劇を鑑賞しました。寸劇で、山中城の副将であった間宮康俊の娘と徳川家康が抱き合った時、討ち取られた松田康長らが倒れた状態から立ち上がりました。これを見て、私は宗閑寺の説明をさっき聞いたばかりですが、何も理解していなかったなと感じました。
宗閑寺は徳川家康の側室となった間宮康俊の娘が建立したお寺であり、間宮康俊を始め、敗戦した北条方の死者を弔うお寺です。しかし、現在は山中城合戦で戦死した豊臣方の一柳直末のお墓も後から移動して一緒に境内にあるため、ラグビーのノーサイドのように戦いが終わった後は敵味方関係なく、仲良く眠っているお寺という印象を強く持ちます。
天下人豊臣秀吉に逆らった山中城の武将は宗閑寺が出来るまで弔われることなく、宗閑寺が出来て、初めて弔われたという事実が寸劇を見て、ストンと心に落ちました。
西櫓と西ノ丸間の障子堀
寸劇を見た後、西櫓と西ノ丸間の障子堀に入りました。
こちらの障子堀も一度中に入ると、出るのが大変で、その間に確実に西ノ丸の上から撃たれてしまいます。
最後に
来年もクラウドファンディングを行うそうなので、是非、寄付をして、障子堀の中から見た風景を自身の目で確認してみてください。私も山中城を応援していきます。
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