訪問日:2019年11月17日
小田原城天守閣では10月12日から12月10日まで特別展「伊勢宗瑞の時代」を開催しています。小田原城のホームページには
2018年から2年間にわたり「北条早雲公顕彰五百年事業」を展開しており、今年は、小田原北条氏の初代伊勢宗瑞(北条早雲)がこの世を去って500年の節目の年にあたります。
今年の小田原城天守閣特別展は、伊勢宗瑞の500年忌に合わせ、最新の研究成果をご紹介するとともに、伊勢宗瑞が生きた時代にスポットをあて、宗瑞の肖像画や発給文書(パネル展示)、ゆかりの遺跡で出土した発掘調査資料などを展示します。
とあり、北条早雲公顕彰五百年事業の最後の特別展は見逃すわけにはいかず、小田原城に向かいました。
菊花展
小田原城天守閣に近づくと、小田原城菊花展が開催されていました。菊といっても様々な種類があり、見たことのないものも多数あり、見るのが楽しかったです。特に小田原城がたくさんの菊に囲まれた展示はとても美しく感じました。
伊勢宗瑞の時代
菊花展を鑑賞した後、天守閣に入り、1階、2階、3階と展示を見ながら、特別展の4階へ。
伊勢宗瑞の姿
伊勢宗瑞の肖像画が7点、おなじみのものから初めて見るものまで展示してありました。正直、伊勢宗瑞の肖像画がそれほどあるとは知らず驚きました。
解説に
眼光鋭く口元を引き締めた表情は、昔の宗瑞のイメージだと「狡猾で不敵な面構え」と評される姿ですが、現在の宗瑞のイメージだと「質実剛健な面持ち」のように見えるのは、宗瑞の研究が進んだことの表れでしょう。
とあり、確かにその通りだと思いますが、同じ肖像画を見て、大きく感想が異なるのは面白いなと思いました。
また、「センゴク権兵衛」と「新九郎、奔る!」の画も展示してありました。これらの画も百年後には平成、令和の伊勢宗瑞肖像画として紹介されるかもしれません。
山内上杉顕定書状
山内上杉氏が大森式部大輔が城主である要害を自落させたことが書かれた書状です。要害とは小田原城のことで、内容から1496年の出来事と比定されるそうです。これまで、伊勢宗瑞の小田原進出は1495年と考えられてきましたが、本資料により、1496年から1501年までの間と表現されるようになったそうです。
伊豆平定は茶々丸が自害した1498年に成し遂げられたので、従来の1495年説だと伊豆平定より先に小田原城を奪取していることになります。これは普通に考えて変ですので、本資料はとても重要なのだと思います。
その他、宗瑞の伊豆進出、小田原進出の展示もありました。
伊豆進出は、従来は堀越公方である茶々丸を滅ぼした伊勢宗瑞による下剋上と思われていましたが、
・足利義澄-細川政元-今川氏親-伊勢宗瑞
の陣営と
・足利義稙ー大内政弘ー足利茶々丸ー武田信縄ー上杉顕定
の陣営による対立構図の中による軍事行動であった。
小田原進出は、従来は伊勢宗瑞が大森氏を騙して小田原城を奪ったと思われていましたが、
扇谷上杉に属していた大森氏が山内上杉方に寝返ったため、扇谷上杉方として伊勢宗瑞は小田原城を奪取した。
上記2点をきちんと押さえておく必要があると思います。伊豆進出、小田原進出に関しては、12月1日にシンポジウム「伊勢宗瑞の伊豆進出」、12月15日にシンポジウム「伊勢宗瑞の小田原進出」が開催されますので、そこで更に深く学びたいと思います。
最後に
北条早雲公顕彰五百年事業は今年で終了ですが、今後も北条氏を深く知るために小田原城に足繁く通いたいと思います。
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