小田原城(神奈川県小田原市)

小田原城とは

小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられています。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されました。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて築造された、城下町を囲む延長9キロにおよぶ総構の出現により、城の規模は最大に達しました。

北条氏滅亡後、徳川家康の家臣大久保氏が城主となると、石垣を築くなど、北条氏の城郭に改修の手を加えます。しかし、大久保氏が改易されると城は破却されます。その後、寛永9年(1632)に稲葉氏が城主になると大規模な改修工事が実施され、城の姿は一新します。稲葉氏三代の後は、再び大久保氏が城主となり、地震や富士山の噴火による被害を乗り越えて、小田原城は関東地方の防御の要衝として幕末まで存在しました。

明治3年(1870)に小田原城は廃城となり、売却された後、次々と解体されました。城址は御用邸時代を経て地元自治体に払い下げられ、現在にいたっています。

現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と三の丸土塁・惣構・八幡山古郭の一部が国の史跡に指定されています。また、本丸を中心に「小田原城址公園」として整備が続けられています。

小田原城址公園にある小田原城案内図より引用

雑感

ゲーム「信長の野望」で最初にプレーした大名家が北条家だったからか、大学生から関東に住んでいるからか、北条家が好きです(関東といえば徳川家という人もいるかもしれませんが、私は関西出身なので、徳川家はあまり好きではありません)。武田家の武田信玄、上杉家の上杉謙信のような有名な武将はいないかもしれませんが、知れば知るほど好きになるのが北条家だと思います。

北条家のお城といえば、小田原城です。豊臣軍20万人を相手に惣構の中に一兵たりとも入れなかった小田原城は間違いなく戦国時代を代表する名城です。

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