石垣山一夜城(神奈川県小田原市)

石垣山一夜城とは

天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万とも21万ともいわれる大軍を率いて包囲し、その本営として総石垣の城を築いたことから石垣山と呼ばれるようになりました。

石垣山に築かれた城が、夜に「石垣山一夜城」又は「太閤一夜城」と呼ばれるのは、秀吉が築城に当たり、山頂の林の中に櫓の骨組みを造り、白紙を張って城壁のように見せかけ、周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城の将兵が、一夜のうちに城が出現したと思い士気を失った、という伝承によるものです。しかし、実際には述べ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。

秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。この城は、関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みは野面積みを用い、長期戦に備えた本格的な城造りであったと言えます。石垣は度重なる大地震に耐え、築城後400年以上経過した今日でも当時の面影がよく残っています。

石垣山一夜城歴史公園にある「石垣山一夜城のご案内」より引用

雑感

関東地方で豊臣家の香りを感じられる唯一のお城だと思います。昔々の大学生時代に初めて石垣山城を訪れた時、小田原城からタクシーで行きましたが、その時、タクシーの運転手から(若い人が石垣山城を訪れるのを)非常に珍しがられたのを今でも覚えています。もちろん、その時見た石垣(特に井戸曲輪の石垣)も強く覚えています。

豊臣家は秀吉の死後、秀頼の代で滅亡しますが、石垣山城では豊臣家の絶頂しか感じることはありませんので、豊臣好きの方にはお薦めのお城です。また、訪れる方のほとんどは車で訪れるでしょうが、歩けるならば歩いたほうが良いと思います。

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