大阪城(大阪府大阪市)

大阪城とは

石山本願寺の時代

明応5年(1496)、浄土真宗の蓮如上人が今の大阪城の場所に一つの坊舎を営んだ。これはやがて石山(大坂)本願寺という大寺院に成長し、強大な勢力を持ったが、天正8年(1580)、天下統一を目指す織田信長に屈し、寺院や寺内町は炎上した。

豊臣時代の大坂城

織田信長没後、政治の主導権を握った羽柴(豊臣)秀吉が天正11年(1585)、石山本願寺跡に築城を開始。天下人の居城にふさわしい大城郭を築き上げた。しかし、秀吉没後、政権は徳川家に移り、慶長20年(1615)の大坂夏の陣により落城した。

徳川幕府による再築

大坂城は2代将軍秀忠の命により、元和6年(1620)から10年の歳月をかけて全面的に再築された。寛文5年(1665)に天守を落雷により失ったが、幕府の西日本支配の拠点として大きな役割を果たした。明治維新の動乱で多くの建造物が焼失した。

昭和の天守閣復興

明治以後、大阪城は陸軍用地として使われた。その中にあって昭和6年(1931)、市民の熱意によって現在の天守閣が復興され、平成9年(1997)には国の登録有形文化財となった。大阪城一帯は第二次世界大戦の空襲によって損害をこうむったが、戦後は史跡公園として整備された。

リーフレット「大阪城天守閣」より引用

雑感

現在の大阪城天守は昭和6年(1931)に復興されたもので、内部にエレベーターがあるため、評価しない人もいます。しかし、私は良い天守だと思っています。天守を復興する際、昔から継承する部分、時代に合わせて改良する部分をきちんと見極めることはとても大切です。

現在の大阪城は豊臣時代の大阪城を埋め立てた徳川の大阪城ですが、やはり、大阪城といえば、豊臣家です。大阪城を訪れると、栄華を極めた太閤豊臣秀吉の笑い、滅亡してしまった豊臣家の悲劇、戦国時代の最後に花を咲かせようとして大阪の陣を戦った武将たちの思いなど、様々なことに思いを馳せることができるのが大阪城の魅力です。

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