歴史探偵「江戸城 3つの天守の秘密」の感想

江戸城

10月20日にNHKの番組・歴史探偵で「江戸城 3つの天守の秘密」が放送されました。徳川家康、秀忠、家光が築いた江戸城に関しては、以前、NHKの番組・知恵泉で「徳川三代の天守 創業者 家康のシンボル、後継者秀忠・家光のシンボル」を見て以来、興味を持っていましたので、今回の番組も楽しみにしていました。

本番組を見て一番印象に残ったのは、今まで、秀忠は家康が築いた天守を、家光は秀忠が築いた天守を壊して、新しく天守をゼロから築いたと思っていたのですが、そうではなく、一旦、天守を解体し、その後、その部材を用いて天守を再建したということです。

番組では上記以外にも印象に残ることがありましたので、それらを書いてみます。

徳川家康の天守

徳川家康は青梅で採れた石灰石から消石灰、消石灰から漆喰を作り、その漆喰を用いて、天守の壁を白くした。

番組では実際に焼いた石灰石から消石灰を作る実験が紹介され、非常に分かりやすかったです。

天守は「夏も雪のように見えて風流だ」と書かれている。また屋根は鉛瓦でふかれており、鉛瓦は錆びるにつれて白っぽくなり、屋根全体が白く輝いて見える。
天守と一緒に富士山が見えた。白い天守と雪をかぶって白くなった富士山は江戸のシンボルだった。

現在でも都心から富士山が見えると感動しますので、それに江戸城天守が加わったら、感動もひとしおだったことでしょう。

徳川秀忠の天守

家康が亡くなって7年後、秀忠は家康の天守を壊し、新たな天守を築いた。大きさや寸法は家康のものとほぼ同じ白い天守である。しかし、天守の位置が全く違う。家康の天守は本丸の中心部にあったが、秀忠は本丸の北の端に建てた。これにより生まれた空間に巨大な御殿を築いた。

江戸城が政治の中心となり、御殿を大きくする必要があったので移築したは納得の理由です。

徳川家光の天守

秀忠が亡くなって6年後、家光は秀忠の天守を壊し、新たな天守を同じ場所に築いた。しかし、家康、秀忠の天守と違い、黒い天守だった。
天守は壁の下半分に銅の板が貼られていた。銅板に塗られた錆止めが黒かったため、外観が黒くなった。屋根も全て銅瓦葺であった。銅の多くは足尾銅山で採れた。

江戸の大火で天守は焼失、再建案が持ち上がり、天守台が作られたが、街の復興を優先して、天守は築かれなかった。

家光の天守は将軍の代替わりのデモンストレーションだったのではないか。

秀忠が天守を解体・再建した理由は納得ですが、家光の場合はなんかモヤモヤ感が残ります。代替わりのデモンストレーションならば、四代・家綱も同じことをやろうとしたのではないでしょうか。

最後に

徳川家康、秀忠、家光が築いた江戸城に関して分かりやすく解説されており、楽しく見ることができました。

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