神奈川県立歴史博物館「狭山北条氏 ―戦国大名北条氏の遺産―」に行きました

訪問日:2019年2月10日
神奈川県立歴史博物館で小規模ですが「狭山北条氏 ―戦国大名北条氏の遺産―」展示が2019年1月30日から2月24日まで開催されています。サイトの案内には

小田原合戦の降伏をもって、関東に一大勢力を築いた戦国大名北条氏は滅亡する、と多くの方はお思いだろう。敗戦により北条早雲から氏政・氏直に至るまでの嫡流系が断絶するのは確かだが、氏政の弟氏規の系統は狭山北条氏(大阪狭山市)として近世以降も大名として生きのびることは意外と知られていない。狭山北条氏は、明治まで近世大名として存続し、武家故実や家譜の収集・編纂、治水事業などを手がけ、その足跡は様々な資料からたどることができる。

本展では、狭山北条氏ゆかりの館蔵資料を一挙に公開し、戦国大名北条氏が河内国狭山藩の近世大名として再生する有様を、そして近世権力として新たな地域と向き合う姿を、豊富な資料から立ち上げてみたい。

とあり、興味を持ったので訪れることにしました。以下、展示を見ての感想です。

狭山北条氏

・(天正19年2月7日)豊臣秀吉朱印状
1591年、北条氏直が赦免され、関東に9千石、近江に1千石の合計1万石を与えることを伝える朱印状です。北条氏直が関東に土地を与えられていたとは知らず、驚きました。残念ながら、北条氏直は同年の11月に亡くなってしまいます。

・天正19年8月9日 豊臣秀吉朱印状
1591年、北条氏規に2千石を与えることを伝える朱印状です。「北条氏規は北条氏政、氏照の介錯を務め、介錯後、自刃しようとして止められ、北条氏直に従って高野山に蟄居した」と説明にあり、その場面が想像できましたので、印象に残りました。

・慶長5年4月8日 豊臣氏奉行連署知行安堵状案
北条氏規が死去し、その所領7千石を長男の氏盛が引き継ぐことを安堵するものです。氏盛は下野に4千石所領があったので、合計1万1千石になるとのことです。豊臣氏奉行連署とあるように、毛利輝元、宇喜多秀家、徳川家康の署判がありました。

・江戸時代 旗指物、江戸時代 三つ鱗紋陣羽織
旗指物は赤い旗に白色で北条家の家紋があり、三つ鱗紋陣羽織は赤色の陣羽織に金色の三つ鱗紋がありました。陣羽織を見ていると、戦場でそれを着用している北条家当主が想像できました。

・江戸時代 北条先祖画像
五代狭山藩主・北条氏朝と伝えられている画像で、「早雲寺に名宝が今日まで受け継がれた背景に氏朝をはじめ狭山藩主たちの尽力があった」という案内が印象に残りました。

文禄3年12月2日 豊臣秀吉朱印状
1594年、北条氏規に7千石の所領を与えた朱印状です。文禄の役で、北条氏規・氏盛は肥前名護屋城に在陣しており、その忠勤により、加増されたそうです。小田原合戦以降の北条氏規の動向についてはよく知らないので、詳しく知りたいなと思いました。

常設展

神奈川県立歴史博物館の常設展にも「小田原を本拠に関東制覇をめざす」という戦国時代関連の展示があり、北条家の家臣だった桜井家の文書が展示がありました。その中で、1590年7月17日の北条氏直朱印状が印象に残りました。北条家は同年の7月5日に豊臣秀吉に降伏しましたので、降伏後に出され、最後までの忠節を労うものでした。

また映像で
・後北条氏の関東進出
・関東に広がる後北条氏の支城
・戦国時代の神奈川県内の城
があり、山中城の300分の1の模型もありました。


最後に

小規模な展示でしたが、知らないことも多々あり、興味深かったです。

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