訪問日:2020年12月5日
埼玉県立嵐山史跡の博物館では2020年12月5日から2021年2月14日まで企画展「戦国の比企 境目の城」を開催しています。博物館の案内には
戦国時代の比企地域は、相対する諸勢力の「境目」に位置することが多く、多数の城郭が築かれました。
今回の企画展では「国指定史跡 比企城館跡群」の菅谷館跡・杉山城跡・小倉城跡・松山城跡の4城跡を中心に、戦国時代の城の役割や構造、比企地域の城跡見学の参考となる情報などをご覧いただきます。
とあり、
・比企地域の城郭について知識を深めたい
・嵐山史跡の博物館が主催する企画展にはここ数年毎回訪れており、企画展に訪れることが恒例行事のようになっている
ということで、今回は企画展初日に訪れました。
嵐山史跡の博物館へ
東武東上線武蔵嵐山駅で下車。改札を出て西口から外に出ると、喫茶モールで昼食をとりました。以前訪れた際、その昭和的雰囲気が気に入り、今回もモールで昼食をとろうと思っていたのでした。本企画展に訪れる方は喫茶モールに立ち寄ることをお薦めします。
昼食後、博物館に向かって歩きます。博物館のホームページには「東武東上線 武蔵嵐山駅下車 徒歩15分」とあり、初めて歩く時は遠く感じるかも知れませんが、私は慣れてしまったのか、そう感じることもなく到着しました。
博物館は菅谷館跡に立地しているので、訪れる度に土塁や堀が凄いなと思います。博物館入口に近づくと入口が閉まっています。「あれっ?」と一瞬思いましたが、正面入口左脇の「事務室入口」から入館するようになっていました。事務室で検温、入館カードに記入した後、受付で観覧料100円を払い、展示会場に入りました。
比企の戦国時代と城郭
・「戦国時代は、関東から始まりました」とずばっと書かれていました。一般には応仁の乱が戦国時代の始まりとされていますが、個人的には享徳の乱が戦国時代の始まりと思っていますので、「戦国時代は、関東から始まりました」と書かれていることに好感を持ちました。ちなみに関東における戦国時代の終わりは徳川家康が関東に入国した天正18年(1590)とのことです。
・比企地域の戦国時代は河越夜戦を画期として、前期と後期に分けられるそうです。更に前期は3期、後期は2期に分類されるそうで、どのように分類されるかは展示を見てください。
国指定史跡 比企城館跡群
菅谷館跡
「鎌倉時代の御家人である畠山重忠の館跡ですが、長享の乱の際、山内上杉氏により再興され、現在見ることができる土塁や堀などは戦国時代に造られた城郭の跡です」
という内容の文章を読んだ時、初めて菅谷館跡を訪れた際、菅谷館跡という名前から想像していたものと大きく異なる土塁や堀があり、驚いたことを思い出しました。
杉山城跡
高度な築城技術が集められ、戦国期城郭の最高傑作の一つと称されているので、山内上杉氏が築いたか、あるいは小田原北条氏が築いたかという「杉山城問題」があります。
図録に
「杉山城に設けられた防御施設では、飛び道具の弓矢対策では有効であっても、鉄砲が戦で用いられるようになると、射程距離が伸びたことから、守備兵が攻城兵との距離を十分に確保することができなくなり、役に立たなくなったことは明らかです」
とあり、私も杉山城を訪れた時、「距離が近いな」と感じたので、上記の文章が印象に残りました。
小倉城跡
小倉城には訪れたことがありませんが、「戦国時代の関東の城郭では珍しく、石積みを随所に用いて築城されている」とあり、訪れてみたいなと思いました。
また図録に
「小倉城の最大の特徴は、総延長約100メートルにわたって石積みが見られるところです。このような石積みをもつ城は武蔵国では他に見ることができません」
とあり、杉山城と同じようにこの城も不思議な城だと感じました。
松山城跡
図録に
「城が築かれた場所は、戦国時代前期、古河公方足利氏、山内上杉氏、扇谷上杉氏の勢力が接する境目の地にありました」
とあり、松山城には奪い、奪い返されるというイメージがあるので、今回のテーマ「境目の城」に最もふさわしいお城だと思いました。
最後に
上記4城以外にも、青鳥城跡、越畑城跡の紹介があり、比企地域には魅力的なお城が多いなと改めて感じました。案内にあった
「今回の企画展では、比企地域の城郭を探訪する際の参考となる情報を提供します」
が実現できている展示ですので、比企地域のお城に興味がある方は訪れることをお薦めします。
追記
企画展見学の後、菅谷館跡を訪れると、予想外に紅葉が奇麗でした。
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