訪問日:2020年11月15日
東照宮とは言わずと知れた徳川家康(東照大権現)を祀る神社であり、上野公園に鎮座する上野東照宮は、1627年(寛永4年)に藤堂高虎と天海僧正が寛永寺境内に建立し、1651年(慶安4年)に徳川家光が造営替えしたものです。
上野公園には清水観音堂、不忍池弁天堂など寛永寺のお堂が残っていますが、個人的には、上野東照宮が一番江戸を感じます。そのような上野東照宮を訪れた時のことを書きます。
大石鳥居
まず最初に大石鳥居があり、向かって左には、寛永十年四月十七日に酒井忠世が奉納したことが刻まれています。4月17日という日付が重要で、この日は徳川家康が亡くなられた日です。「生まれることはおめでたいこと、亡くなることは悲しいことなので、なぜ家康の生まれた日(12月26日)に奉納しないのか」と不思議に感じる人がいるかもしれません。しかし、4月17日は徳川家康が人間・家康から神・東照大権現に成った日であり、おめでたい日なのです。
石灯籠
水舎門をくぐり、少し歩くとぼたん苑の入口があり、その左右に石灯籠があります。この石灯籠をよく見ると、「真田伊豆守滋野朝臣信之」と刻まれています。真田伊豆守滋野朝臣信之とは、真田信繁(幸村)の兄である真田信之のことです。私が真田家を好きなこともありますが、初めてこの銘を教えてもらった時、上野公園で真田信之の名を見るとは思いもしなかったので、とても感動したことを覚えています。
上野東照宮には石灯籠が約200基あるそうで、石灯籠に刻まれた奉納者の名前を見ながら歩くのはとても楽しかったです。
銅灯籠
社殿の近くには銅灯籠があり、全部で48基あるそうです。銅灯籠も石灯籠と同じように奉納者の名前を確認していると、「加賀能登越中三国主菅原姓松平犬千代丸」と刻まれた銅灯籠がありました。「加賀能登越中三国主」と言えば、もちろん、加賀百万石の前田家です。それ以上に私が注目した文字は「菅原」です。昨年の3月に伏見を散策するツアーに参加しました。
その時
「前田家は自身の先祖が菅原道真だと考えていたので、屋敷に菅原道真を祀る天満宮を建立していた」
と教えてもらいました。そのことを自分の目で確認でき、感動しました。
また、松平出羽守直政が奉納した銅灯籠もあり、そこには動物が描かれていました。この動物は何でしょうか。私は最初「獅子と牡丹」の獅子だと思いました。しかし、動物の上に描かれている葉の形は竹の葉のように見えますので、「竹に虎」の虎かと思いました。
後ろに回ってみました。すると牡丹らしき花が。やはり獅子なのでしょうか。結局、何の動物かは分かりませんでした。情報をお持ちの方は是非、コメント欄に書いてください。
社殿拝観
社殿の前でお参りをした後、授与所で拝観料500円を払い、有料区域に入りました。社殿を囲む塀は菱格子の向こう側が透けて見えるので透塀(すきべい)と呼ばれているそうです。透塀になっているのは、東照大権現が世の中が平和であるかを確認しやすいためなのかなと思いました。
奥に進むと、栄誉権現社がありました。案内には
四国八百八狸の総帥。奉献された大奥で暴れ追放後、大名、旗本、諸家を潰し、大正年間本宮に奉献された悪業狸。他を抜く(たぬき)強運開祖として信仰が厚い。
と書かれていました。
案内を読むと少し怖く感じますが、日本では人知を超えた力を持つ存在を神と呼び、その力を善の方向に使われるよう祈りますので、今は強運開祖の神として信仰されているのも納得です。
透塀をくぐると、黄金色の社殿が目に入りました。「美しい」の一言です。黄金色が嫌味に感じず、徳川家康の偉大さを感じさせてくれます。
最後に
上野東照宮にはまだまだ知らないことがたくさんあると思いますので、折を見て、訪れたいと思います。
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