にっぽん!歴史鑑定「家康と信康~父と子の争い」の感想

浜松城

BS-TBSの番組「にっぽん!歴史鑑定」で、5月26日、「家康と信康~父と子の争い」が放送されました。歴史上の話を本などで読んだ時、「変だな」と思うことがあります。信康自刃事件はそのようなものの一つで、
「信長は自身の嫡男である信忠と家康の嫡男である信康を比べると、信康の方が優秀なので、今は織田家が徳川家に上にいるが、次の代になると、織田家は徳川家の下になると考え、信康を切腹させた」
の旨を読んだ時、あまりにも徳川贔屓の考え(魔王信長に脅され、泣く泣く優秀な信康を自刃させた悲劇の家康)で、「そんなことはなかっただろう」と感じたのを覚えています。ですので、最新の研究が反映されているであろう放送を楽しみにしていました。以下、印象に残ったことを書いています。

家康と信康~父と子の争い

信康自刃事件のてんまつは三河物語に詳しく述べられている。
徳川家は織田家との同盟の証として、信長の娘である徳姫を信康の正室に迎え入れていた。そんな折、天正7年に徳姫が信長に書状を送った。そこには、夫である信康や姑である築山殿に対する不満が書かれており、特に「築山殿が武田勝頼と内通している」は信長を激怒させた。そこで、信長は酒井忠次を呼び出し、真相を問いただした。酒井忠次は手紙の内容を否定せず、そのため、信長は信康を切腹させるよう要求した。家康は愕然としたが、築山殿を家臣に殺害させ、信康に切腹を言い渡した。

番組を見る前の私の信康自刃事件の理解は上記のとおりでした。

しかし、この事件は謎が多い。
・武田と内通していたのは築山殿で信康に罪はない。
・当代記には、「信長は家康殿の思い通りにせよ」と言ったと書かれており、切腹を命じていない。

確かに従来説が正しければ、築山殿だけを処断すれば問題なかったと思います。

家康は駿府での人質時代に今川義元の姪である瀬名姫(築山殿)と結婚し、信康が生まれた。桶狭間の戦いで、今川義元が討たれると、家康は今川から独立して、三河に戻った。しかし、瀬名姫と信康は駿府にいたままだった。その後、人質交換で信康と瀬名姫は三河に戻る。しかし、信康は岡崎城に入ったが、瀬名姫は城に入ることが許されなかった。こうした出来事は後に家康と信康の関係に影響を及ぼした。

この事実は知らず、印象に残りました。今川義元を討った信長と同盟を結んだので、瀬名姫との仲が悪くなったことは容易に想像できます。

家康が浜松城に移ると、信康に岡崎城を譲った。しかし、信康は性格に問題があり、無慈悲で非道な一面があった。これが原因で、家康は信康を切腹させたとも考えられる。しかし、戦国時代にはこのような行為は珍しくなく、これが理由で切腹させるとは考えづらい。また戦国時代には嫡男はとても大事なので、築山殿の武田家内通のとばっちりで、切腹させられたのも考えづらい。そうすると、信康自体に死をもって償うほどの問題があったことになる。

徳川家は武田家に対する対応で意見が割れていた。家康率いる浜松衆は武田と戦い続けるという姿勢だったが、信康率いる岡崎衆は武田との敵対関係を見直すべきだと主張した。そんな折、天正3年に信康の家臣が武田と内通し、武田軍を岡崎城に入れようとした。計画は事前に発覚し未遂に終わったが、家康は激怒した。その後、長篠の戦いで織田徳川軍は武田軍を破り、家康は自分の判断が正しかったと確信した。

しかし、長篠の戦いが浜松衆と岡崎衆との間の軋轢をはっきりと浮かび上がらせた。浜松衆は武田の領国に近いので、武功と出世の機会に恵まれていた。一方、岡崎衆は織田の領国に近く、後方支援が主な仕事で、出世にもつながらず、不満が溜まっていた。

浜松衆と岡崎衆の対立がよく分かりました。

御館の乱が原因で、武田家と北条家の仲が悪くなった。徳川家に加え北条家も敵となった武田勝頼は岡崎衆に接触を図った。このことが徳姫に知られ、信長に報告された。家康は酒井忠次を通して、信長に「信康の処断を考えている」と伝えたと推測する。

天正7年8月3日、家康は岡崎城を訪れた。信康と武田との接触の真偽を確かめ、どのような処断を下すか判断するためである。結果、9月15日に家康の命で信康は自刃する。切腹ではなく、廃嫡、蟄居、出家など選択肢はあったが、切腹させた理由としては、「秀忠が生まれていたので、跡取の心配がなかった」、「浜松衆が切腹を後押しした」などが考えられる。

番組でも触れていたように、信康が切腹した9月15日は関ヶ原の戦いがあった日であり、関ヶ原の戦い時、家康は「せがれがいればこんな思いをしなくて済んだ」と言ったので、信康自刃事件は家康にとって、忘れられない事件だったんだなと思いました。

最後に

番組を見て、今までモヤモヤしていた信康自刃事件がすっきりしました。

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