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京都ぶらり歴史探訪「歩くとわかる明智光秀」の感想

桔梗の花(アイキャッチ画像)

BS朝日で、6月25日に京都ぶらり歴史探訪「歩くとわかる明智光秀」が放送されました。興味深い内容でしたので、録画し、やっと見ることが出来ましたので、その感想を以下に書きます。

光秀饅頭、光秀首塚

京都東山にある和菓子店・餅寅では、明智家の家紋である桔梗紋をあしらった光秀饅頭が売られている。光秀饅頭が売られている理由は、餅寅が明智光秀の首塚を守り続けているからである。元々は明智光秀の子孫が塚を守っていたが、笛の名手であったため、関東(江戸)に招聘され、餅寅に首塚を託した。

首塚の隣には祠があり、中に光秀木像が祀られている。テレビなので特別に像が公開され、像は一般の光秀のイメージとは異なる、ふくよかな表情であった。また像と共に位牌と遺骨壺も安置されている。

東山には何度も訪れていますが、明智光秀の首塚があるとは知りませんでした。必ず訪れようと思いますし、餅寅で光秀饅頭も買おうと思います。

妙心寺

明智光秀の母方の叔父にあたる密宗和尚が妙心寺におり、明智光秀は本能寺の変後、密宗和尚を訪ねて、辞世とも言える内容の一文を残した。

光秀の死後、密宗和尚はお墓の代わりに浴室を造った。妙心寺では明智風呂とも呼ばれている。「汚名をきれいに洗い流す」という意味で浴室を建てたとも言われている。また仏殿には光秀の位牌も安置されている。

妙心寺も何度か訪れていますが、浴室が明智光秀と関わりがあるとは知りませんでした。

慈眼寺

京都市右京区にある慈眼寺の釈迦堂に明智光秀の坐像が祀られている。右脇に薄っすらと桔梗紋があるので、光秀像であると言える。像は黒く塗られており、その理由は以下である。光秀はこの地で善政を敷いており、領民は光秀を称え、像を造った。しかし、本能寺の変で逆臣と呼ばれるようになると、人目をはばかるため、墨で黒く塗った。

黒く塗ったという話は聞いたことがあり、領民の光秀を思う気持ちを感じることが出来ました。

蘆山寺

京都市上京区にある蘆山寺には、明智光秀の念持仏である地蔵菩薩像が祀られている。地蔵菩薩は庶民に寄り添い、救ってくれる仏である。光秀の念持仏が蘆山寺に伝わる理由は以下である。織田信長は蘆山寺は比叡山の末寺だと思い、光秀に蘆山寺を焼くように命令した。それを知った正親町天皇は、蘆山寺は比叡山の末寺でないので、中止するようにと光秀に対して書状を出した。光秀は蘆山寺焼き討ちを中止し、これが縁で、光秀ゆかりの仏が奉納された。

「お地蔵さんを念持仏にするのは優しい人に違いない」など、番組は明智光秀を心優しい人にしたいようでしたが、そんな単純ではないと思います。地蔵菩薩は地獄に落ちたものを救う仏であり、沢山の人を殺めた武将が地蔵菩薩を信仰するのはごく自然のことです。

福知山城

明智光秀が築いた城はいくつかあるが、坂本城は現存していない、亀山城は光秀時代の石垣が残っていない、一方、福知山城は天守を支える石垣に光秀時代のものが残っており、光秀のお城を考える上で一番大切なお城である。福知山市では光秀は大変慕われており、御霊神社で神として祀られている。

福知山城はずっと訪れたいと思っていますが、まだ訪れたことがないので、必ず訪れようと強く思いました。

山崎の戦いから最後まで

京都府長岡京市にある恵解山(いげのやま)古墳は、山崎の戦いにおいて、明智光秀が本陣を置いた場所と言われている。明智光秀は山崎の戦いで敗れた後、細川家の居城である勝竜寺城に入る。しかし、深夜、城から脱出。その後の足取りは神足(こうたり)神社にある。明智光秀が逃げる時、通ったといわれる道がある。坂本城を目指したが、小栗栖村で落ち武者狩りに遭い、命を落とす。


最後に

明智光秀を民をいたわる心優しい人に結論づけようとする方向性には疑問を持ちましたが、京都における明智光秀ゆかりの場所を知るには良い番組でした。大河ドラマを記念して、京都では色々と特別公開があるでしょうから、今から非常に楽しみです。

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