「明智光秀・最期の謎!歴史研究者とたどる、戦国時代の小栗栖」ツアーに参加しました

明智藪(アイキャッチ画像)

訪問日:2019年4月13日
「本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、落ち延びる途中、落ち武者狩りの百姓に竹槍で刺されて深手を負い、自害した」
という話を初めて聞いて以来、明智光秀が百姓に刺された場所は人里離れた山奥というイメージをずっと抱いていました。

まいまい京都の4月開催コースに関する案内を見ていると、

【小栗栖】明智光秀・最期の謎!歴史研究者とたどる、戦国時代の小栗栖
– 光秀を討った“長兵衛”の正体とは!?小栗栖城跡から明智藪まで –

を発見、集合場所が京都市営地下鉄東西線石田駅とあり、明智光秀が刺された場所は山奥ではなく、地下鉄の駅から歩いていける場所にあることを知って驚き、参加の申込みをし、参加できることとなりました。

小栗栖

石田駅の近くに山科川が流れており、山科川を挟んで、東側が醍醐、西側が小栗栖(おぐりす)だそうです。醍醐には、もちろん有名な醍醐寺があり、何度も訪れたことがありますが、反対側の小栗栖に訪れたのは今回が初めてでした。

「明智藪 天正18年6月13日 明智光秀が討たれたといわれる場所」と書かれた木碑の背後には現在竹藪はありません。これはずっと荒れ放題になっていた明智藪を来年の大河ドラマ「麒麟がくる」が始まると沢山の人が来ることが予想されるので、整備するためとのことです。竹の成長は早いので、夏には元に戻るそうです。ですので、現在の姿が逆に貴重かもしれませんね。

明智藪 木碑

明智藪 木碑

明智藪からほど近い場所にある小栗栖城跡にも立ち寄りました。戦国時代、小栗栖地区は飯田氏が在地の領主だったそうで、最初の写真の石碑には
「小栗栖の付近にさしかかったところを信長の近臣小栗栖館の武士集団飯田一党の襲撃によりあえない最後を遂げたといわれている」
と書かれており、刺したのが農民でなく、飯田氏ならば、小栗栖館(城)から出撃したのでしょうね。小栗栖城跡は私有地で許可がないと入れませんので、このようなツアーは貴重です。

ガイドの方が「(刺された後)明智光秀は何を思い、この辺りを進んでいたのか想像してみましょう」と話され、私は「本能寺の変を起こしたのは正しかったか」、「自分がやろうとしていた政治を後を継ぐ者に実現して欲しい」などを考えていたのかなと思いましたが、光秀ゆかりの地を色々訪れ、考えてみたいと思います。


最後に

来年の大河ドラマは明智光秀を主人公とした「麒麟がくる」ですので、今後、明智光秀関連の特別展などが開催されると思います。それらを訪問することが今から楽しみです。もちろん、明智藪にも再訪したいと思います。

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