4月28日にNHKのテレビ番組「知恵泉」で「明智光秀の娘・細川ガラシャ 運命に逃げない美女」が放送されました。
知恵泉のサイトには
戦国の美女・細川ガラシャ。戦国大名・細川忠興に嫁ぐものの、明智光秀の娘に生まれたことで、本能寺の変を境に、苦悩と苦境に苛まれる人生がはじまった。謀反人の娘という十字架を背負ったガラシャは何をよりどころに、その後を過ごしたのか。逃れられない運命を前に、逃げない人生の知恵を探る。その原動力となったのが、独りでふさぎこまなかったこと。そしてやるときはやるという強い意志。そこまでに至る心の軌跡とは。
とあり、今年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀の娘・ガラシャは正に旬な人物なので、放送を楽しみにしていました。以下、番組を見た感想です。
独りでふさぎこまなかったこと。そしてやるときはやるという強い意志
永禄6年(1563)玉子誕生。玉子5歳の時、明智光秀は信長に仕える。12歳の時、細川忠興との縁談が決まり、4年後、勝龍寺城において婚姻の儀が行われた。結婚翌年には長女、続いて長男が誕生。細川家は単語12万石の大名になる。
しかし、玉子20歳の時、本能寺の変が起こる。玉子は離縁され、山奥に幽閉される。玉子は
「父上の腹黒いお心のせいで 私は忠興様に捨てられ 心細いありさまになってしまったわ」
と恨み辛みをしたためた。
→
上記のようなことをしたためた話は知らなかったので、印象に残りました。ガラシャも本能寺の変直後は恨み辛みの気持ちだったのでしょうね。
そのような玉子を救ったのが侍女の「清原いと」である。いとは儒学だけでなくキリスト教など広範囲の知識を有し、玉子はいとと話すことにより、再び生きる気力を得た。
→
番組内で忠興は玉子を大変愛しており、玉子のために教養を身に着けたいとを侍女として送り込んだと言っており、その意見には同意しました。
玉子22歳の時、秀吉の許可の下、忠興と再婚。しかし、自由に外出することは許されず、また忠興は側室も設けていた。そのような時、玉子はキリスト教に興味を持つ。
→
番組では、「キリスト教は玉子に『今苦しくても精一杯善き行いを積んでいけば輝かしい来世がある』という一筋の希望を与えた」と話していましたが、仏教の浄土系宗派にも同じ考えがありますので、同意できませんでした。
また「仏教では救われなかった。なぜならば謀反人は地獄に落ちるという考えがある」という意見も変に感じました。たとえ、地獄に落ちたとしても、罪を償った後は極楽浄土に生まれ変わらせてくれるのが阿弥陀如来ではないでしょうか。
個人的には、当時の堕落した僧侶を見聞きして、仏教よりもキリスト教に興味を持ったように感じます。
天正15年、忠興は九州へ出陣、その時、玉子は屋敷を抜け出し、教会へ行く。玉子は洗礼を望むが、身分を明かせないので、教会は許可しなかった。キリスト教へと取締が厳しくなり、忠興は玉子にキリスト教を捨てろと迫るが、玉子は拒否した。その後、清原いとが教会で洗礼を受け、いとが神父の代理として玉子に洗礼を授けた。玉子はガラシャという洗礼名を授かり、ガラシャとは恩寵(おんちょう)という意味で、玉子の玉を貴重なものとして解釈してつけたものである。
秀吉の死後、石田三成と徳川家康は対立し、三成は家康に従う大名の家族を人質にとることを考え、最初の標的になったのがガラシャである。三成軍が細川家屋敷を取り囲むと、ガラシャは侍女たちを逃し、家来に自分の胸を貫かせた。家臣たちも切腹し、屋敷は炎に包まれた。ガラシャの壮絶な死は三成に人質計画を断念させた。
加藤清正や黒田長政の夫人は逃げ出しているので、ガラシャも逃げようと思えば逃げられたはずである。そうしなかった理由として、明智光秀の娘ということが影響した可能性がある。脱出を試みて、万一捕虜になったら、「やっぱり、明智光秀の娘は駄目だ」と言われたら、父である光秀、夫である忠興の名誉にも傷がつく。キリスト教とは別の要素もあったと考えられる。
→
ガラシャがあのような決断をしたのは、上記に挙げられたような考えがひとつひとつ積み重なってのことだと思いますので、何か一つこれだという理由があるものではないと感じます。
最後に
番組の最後に「『逃げる』と『挑戦』の線引きはどこにあるか。ちょっとはみ出ることを逃げたという人もいるが、新たな挑戦と見ることも出来る」という考えは興味深かったです。その話を聞き、心の持ちようが大切だなと感じました。
この記事へのコメントはありません。