「桜井家文書 戦国武士がみた戦争と平和」に行きました

桜井家文書

訪問日:2019年11月24日
神奈川県立歴史博物館では2019年11月19日から12月22日まで、コレクション展「『桜井家文書』-戦国武士がみた戦争と平和-」が開催されています。桜井家文書は常設展で鑑賞したことがあり、興味深かったので、担当学芸員が展示解説をしてくれる日に訪れることにしました。

桜井家文書

本展示はコレクション展ですので、無料で鑑賞することが出来ます。神奈川県立歴史博物館に到着すると、コレクション展の部屋に向かい、展示品を鑑賞していると解説の時間となり、解説が始まりました。集まった人は想像より多く、「古文書は人気があるのだな」と思いました。以下、印象に残ったことを書きます。

・神奈川県立歴史博物館は桜井家文書に関して、中世文書を11通、近世文書を19通、合計30通持っており、それらの修理が完了したことを記念する展示である。
・戦国時代は大名の視点から語られることが多いが、いち武将の桜井家が見た戦国時代から江戸時代、つまり、戦争の時代から平和な時代への移り変わりを古文書を通して見てみたいという展示でもある。
・桜井家文書は桜井武兵衛に関するものが主であり、桜井武兵衛は元々武蔵国の武士で、北条氏の家臣として働き、北条氏の領土拡大により、上野国で土地を与えられ、小田原合戦時は小田原城に籠城した。北条家滅亡後は、結城秀康に仕え、下総国に赴任し、結城秀康が越前国に移動になると、それに従って越前国に行き、越前藩の家臣となった。結城秀康没後は越前藩二代目藩主である松平忠直に仕えた。
・桜井武兵衛は上野国長手郷に土地を与えられ、北条朱印状で押買をしないようにと言われている。押買とは物を安く買い叩く行為である。
・小田原合戦時に小田原城に籠城したことに対する感謝状が北条氏直から天正18年7月17日に出されている。感謝状は紙が小さく、薄く、かつ虎の印判が押されていない。

本書状は常設展で見たことがあります。小田原城落城後に出されたもので、北条氏直の家臣に対する優しさが感じられるため、強く印象に残っています。
・結城秀康は関ヶ原の戦い時に東国に残り、上杉家に対して睨みを効かせた功績があり、越前国が与えられた。結城秀康は恩賞に見合う家臣団がいなかったので、滅亡した武田氏や北条氏の元家臣を家臣に加えた。結城秀康は早く亡くなってしまい、松平忠直は13歳で二代目藩主となる。松平忠直は父から引き継いた家臣の扱いに苦労し、久世騒動、永見上右衛門成敗などの家中騒動が起こった。このことから、松平忠直は乱行行為が激しい無能な人という評価があるが、桜井武兵衛に対する書状からは松平忠直の異なる側面が見えてくる。
・桜井武兵衛が病気になった時、薬を送ったり、薬の飲み方を指示する松平忠直の書状があり、家臣に対する細かい気遣いが伝わってくる。
・松平忠直が桜井武兵衛に密命(彼の者を監視する)を与えている書状もある。それらは慶長16年に出されており、翌年久世騒動が起こっている。松平忠直が家臣間の争いをなんとかしようとしていたことが分かる。
・我等はしりめくり之覚は今展示の目玉である。松平忠直が改易されたので、桜井武兵衛は新たな藩に就職活動する必要が出てきた。その時に出されたものである。つまり、桜井武兵衛の履歴書である。
「我等」は私達という意味ではなく、私という一個人を意味しており、「はしりめくり」は合戦でがんばったの意味である。よって、「我等はしりめくり之覚」は「私(桜井武兵衛)が合戦で頑張ったことを記録したもの」という意味である。
各合戦履歴の後に名前が書かれており、「その人に聞けば、書かれていることが本当だと証言してくれますよ」という目的で書かれている。

中世文書の折式、封式いろいろ

古文書の折り方として竪紙、折紙、竪切紙、封式として切封が紹介されており、紙を使って、実際に体験できるようになっていました。

・竪紙ではまず最初に宛名のすぐ左側を折る。その後、くるくる巻いていき、文書全体を潰して平にする。宛名のすぐ左を折ることにより、折り目が宛名の上に入らないようにしており、戦国大名の気遣いが感じられる。

「折り目が宛名の上に入らないようにしている」のは当時の人の心配りが感じられ、とても興味深かったです。

・折紙は紙を半分に折り、上半分に文字を書いた。下半分は礼紙として使用された。上半分で書ききれない場合は下半分に書き、それでも書ききれない場合は上半分の余白に書き、更に行間に書く。

豊臣秀吉朱印状

天正18年7月17日に出された北条氏直の感謝状を上で述べましたが、同じ日に豊臣秀吉から関東足利氏の足利頼淳に出された朱印状がトピック展示「関東足利氏―新収蔵史料の紹介―」で展示されていましたので、見に行きました(トピック展示は有料です)。

最初に「北条氏政」と書かれているのは容易に分かりました。また朱印だけでなく、「秀吉」とはっきり書かれていたのも印象的でした。宛名は「鎌倉左兵衛督殿」とあり、左兵衛督は関東足利氏嫡流の伝統的な官途名であり、鎌倉公方嫡流として足利頼淳を扱っていることが分かります。同日に出された北条氏直(敗者)と豊臣秀吉(勝者)の書状。どちらも印象深いものがあります。

最後に

展示を鑑賞した後、桜井家文書の図録(700円)を購入しました。コンパクトなサイズであり、文書がオールカラーで掲載されていますので、購入をお薦めします。

付録

YouTubeにある本展示の案内です。

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