訪問日:2019年12月15日
小田原城天守閣特別展「伊勢宗瑞の時代」の関連イベントとして、12月1日にシンポジウム「伊勢宗瑞の伊豆進出」が開催され、その第2弾として、12月15日にシンポジウム「伊勢宗瑞の小田原進出」が開催されました。
シンポジウムは
- 黒田基樹さんによる講演「伊勢宗瑞の伊豆平定と小田原進出」
- 金子浩之さんによる講演「明応津波と伊勢宗瑞」
- 長塚孝さんによる講演「伊勢宗瑞と相模国」
- 講演者の方々によるシンポジウム「伊勢宗瑞の小田原進出」
から構成されており、前回と同様、どれもとても興味深い内容でした。以下、印象に残ったことを書きます。
伊勢宗瑞の伊豆平定と小田原進出
タイトルの通り、伊豆平定と小田原進出の話がありましたが、小田原進出のことのみ書きたいと思います。
伊勢宗瑞は明応9年(1500年)に大森家の小田原城を攻略し、それに伴って、相模西郡を領国化した。しかし、宗瑞による小田原城攻略の時期を示す当時の明確な史料は発見されていない。
これまでの通説では、鎌倉大日記に記載されている明応4年9月とされていたが、明応5年7月の時点で大森家が小田原城主として、かつ扇谷上杉方として存在していたことを示す書状が見つかり、それ以前に宗瑞が小田原城を攻略したとする所伝は誤りであったことが確実になった。
宗瑞の小田原領有を示す確実な資料の初見は、文亀元年(1501年)3月28日に、伊豆走湯山に小田原城近辺の上千葉の所領についてのものであり、それ以前に小田原城を攻略していたとみなされるので、史料上からは、宗瑞の小田原進出は、明応5年7月から文亀元年3月までの間とみなされる。
明応9年6月4日に相模湾地震が起きており、宗瑞の小田原城攻略はその後とする見解が出されており、そうであれば、明応9年6月から文亀元年3月までの間という、十ヶ月ほどの期間に絞り込める。
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黒田先生の話は論理に飛躍がなく、聞いていて、納得がいくものでした。
明応津波と伊勢宗瑞
伊豆半島東海岸域にある宇佐美遺跡の津波堆積物層内の陶磁器片等から15世紀末に巨大津波が関東沿岸を襲っていた事実が判明した。
鎌倉大日記の明応年間の記事は文亀年間(1500-1501)に鎌倉に近い位置にいた人物によって編述されたと近年指摘され、鎌倉大日記は明応4年8月15日の地震、同年9月の宗瑞の小田原侵入という事実が記された同時代史料であるとの評価に転換した。
宗瑞は、伊豆中部に狩野家、南伊豆に山内上杉家臣関戸氏、甲斐に武田信縄、武蔵に山内上杉氏に囲まれた情勢の中、明応4年9月に小田原へ進攻した。この侵攻は、友好関係にあった扇谷上杉氏とそれを支える大森氏との関係を壊すものであり、宗瑞にとってはそれまでの姿勢を変えて、戦国大名としての独立の道に入る大きな一歩である。
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多くの敵に囲まれているにも関わらず、友好関係にある山内上杉氏家臣の大森氏を攻めるのは違和感を感じます。例えが良いか分かりませんが、織田信長が信長包囲網をされている時に同盟者の徳川家康を攻めるようなものなので、あり得ないのではと思えます。
日本人の水害への認識に「龍」や「大蛇」などが深く関係していることは民俗学側からの強い指摘があるが、同様に魔物的な姿をした「牛」も水神との関係性が強いものである。宗瑞の火牛の計における、千頭の牛が猛り狂う姿は、津波が小田原を襲った状況を物語風に述べたものであろう。
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伊勢宗瑞の火牛の計を津波と関連付けて考えるのは興味深いです。また水神と関係深い生き物として、龍や蛇は知っていましたが、牛は知らなかったので、今後、牛に関連するものを見かけたら、水と関係しているか確認したいと思います。
伊勢宗瑞と相模国
伊勢宗瑞の火牛の計は、異本小田原記には記載されているので、天正末期の北条家臣には知れた逸話だったことになる。通常、陸路の輸送には馬が利用されるが、馬は街道が急だと輸送には支障をきたすことがある。そのため、急な坂道については、牛を利用した輸送を行うことが少なくない。
箱根越えという急崚な街道に牛が利用されていたならば、三島宿や小田原宿に多数の牛が飼養されており、それが火牛の計の前提になっていた可能性はある。
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伊勢宗瑞の火牛の計には、話が信じられきた何らかの理由があるはずです。三島宿や小田原宿には多数の牛が飼われており、その牛を使って伊勢宗瑞は火牛の計を実行したと人々は信じ、納得していたとする考えは非常に興味深かったです。
最後に
「伊勢宗瑞の伊豆進出」、「伊勢宗瑞の小田原進出」を聴講し、伊勢宗瑞に対する理解がぐっと深まり、聴講して本当に良かったと思います。
最後に黒田先生がおっしゃったように、2021年は北条氏康没後450年、2023年は名字を伊勢氏から北条氏に改称、つまり小田原北条氏誕生から500年の記念の年ですので、今後も記念イベントを開催して欲しいです。そして、小田原北条氏誕生500年の記念の年である2023年に北条5代が大河ドラマになることを希望します。
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