掛川城(静岡県掛川市)

掛川城とは

1497年から1501年の間に駿河国の守護大名である今川氏は遠江国支配の拠点として、掛川古城を築きました。その後、遠江における今川氏の勢力拡大に伴い、掛川古城は手狭となり、1512年から1513年頃に現在の地に掛川城が築かれました。

1560年に桶狭間の戦で今川義元が織田信長に討たれると、1568年に甲駿同盟は手切れとなり、武田信玄は駿河に侵攻し、今川氏真は駿河を追われ、掛川城に立て籠もり、今度は徳川軍に包囲されました。そして、翌年、和睦により、掛川城は開城となり、家康は重臣の石川家成と城主とし、武田氏の侵攻に備えました。

1590年に全国平定を成し遂げた豊臣秀吉は、徳川家康を関東に移すと、掛川城には山内一豊が入城しました。山内一豊は掛川城に初めて天守をつくり、天守の美しさは「東海の名城」とうたわれましたが、1854年の安政の大地震により損壊し、再建されることなく、明治維新を迎えました。現在の天守は1994年に140年ぶりに木造で再建されたものです。

「掛川城天守閣」リーフレットを参考

雑感

掛川城というと、山内一豊を思い出します。しかし、私は山内一豊があまり好きではありません。一豊がどうのこうのという訳ではなく、幕末の山内容堂があまり好きではないのです。山内容堂がイマイチなので、その先祖である山内一豊もあまり好きではないということです。

山内一豊の評価と掛川城の評価は無関係です。新幹線に乗っていると、ついつい掛川城の姿を確認してしまいます。「東海の名城」と言われた掛川城は、「東海道新幹線から見える名城」という名前も追加して良いと思います。

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