名古屋城とは
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清須から新城下への街まるごとの引っ越しを決定。この新たに造られた碁盤割の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています。
慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを天下普請をいいます。天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17年(1612)にほぼ完成しました。
尾張初代藩主として家康九男の喜直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
名古屋城で入手した案内「名古屋城の生い立ち」より引用
雑感
名古屋城には思い出が2つあります。1つ目は場所に関することです。江戸城は東京駅から歩いていけるように、何故か名古屋城も名古屋駅から歩いていける場所にあると思っていました。よって、何の下調べもせず、名古屋駅で下車し、名古屋城に歩いていこうとして、途方に暮れた思い出があります。
2つ目は大きさです。初めて名古屋城を訪れた時は、まず犬山城を訪れ、その後、名古屋城を訪れました。ですので、名古屋城がとても大きく感じられました。よって、今でも大きなお城というと、真っ先に名古屋城をイメージしてしまいます。