小机城とは
小机城は、鶴見川に突き出た丘陵上の要害で、15世紀半ば頃(室町時代)までには築城されていたと考えられます。背後の神奈川湊(神奈川区)と鶴見川および鎌倉街道の交差する交通の要衝であり、横浜市北部一帯を含む支配拠点でした。文明10年(1478)には長尾景春の乱にともなう戦乱で、太田道灌によって攻め落とされています。
戦国時代には、小田原北条氏の関東進出の中で重要な軍事拠点となり、城も改築されたようです。北条氏の重臣・笠原越前守信為が城代となった後、北条三郎・氏信・氏堯・氏光が城主となりました。
豊臣秀吉による小田原攻めでは戦闘の記録はなく、徳川家康の関東入りの後に廃城となりました。現在は「小机城址市民の森」として整備され、城跡内を散策することができます。迫力満点の巨大な空堀や、土塁・本丸・二の丸などの主要な遺構がほぼ原型のまま遺されています。
「小机城址ガイドマップ」より引用
雑感
小机城は横浜線の小机駅のほど近くにあり、首都圏に住む人からはとても交通の便の良いお城です。当日行きたいなと思えば、すぐに行けるのが良い点です。また大都会横浜の中心からほど近い場所にありながら、これほどの遺構が残っているのも凄いと思います。
横浜といえば明治時代以降に栄えた都市で、それ以前のものは何もないと思う人もいるかも知れません。しかし、小机城は中世の横浜を代表する遺構で、近年のお城ブームに乗り、ますます注目を集めると思います。